LINEは「売る場」ではなく「距離を縮める場」。阪急交通社・宇和川匠氏が語る、顧客の意思決定を支えるデジタル戦略

「友だち」の数は増えたが、ブロック率も上がっている――。「LINE」アカウントの運用でこうした悩みを持つ企業は少なくない。阪急交通社は運用体制をゼロから見直しし、角度の高い顧との関係性構築に重きを置いている。その戦略的アプローチに注目する

大嶋 喜子[執筆]

8月3日 8:00

老舗旅行企業の阪急交通社は「LINE」を単なるSNSアカウントの1つではなく、「最も身近なプッシュ媒体」として再定義し、顧客との関係構築に活用している。「友だち」の数をやみくもに増やすことにとらわれるのではなく、重視するのは「角度の高い顧客とどうつながり、どう会話を重ねていくのか」。その設計と運用を担ってきた宇和川 匠氏(DX戦略事業本部 ウェブ戦略部 ウェブ戦略二課課長、※肩書きは登壇当時)が、顧客コミュニケーションとして活用を深めている「LINE」運用の取り組みを解説する。

阪急交通社が挑んだLINE運用の構造改革

阪急交通社では、旅行予約全体の約6割がEC経由となっており、デジタル上での顧客接点が事業に与える影響は年々大きくなっている。一方で、メールやWeb広告といった従来の手法だけでは、顧客に情報が十分に届かない場面も増えていたという。宇和川氏は従前の運用について「情報過多の中で、顧客との距離が少しずつ離れていく感覚があった」と話している。

そうした状況のなかで着目したのが、日常的に使われ、通知という形で確実に情報を届けられる「LINE」だった。「LINE」を単なるSNSではなく、顧客と直接つながる“プッシュ媒体”として再定義することで、新たな顧客コミュニケーションの可能性を探り始めた。

公式アカウントは、従前は30以上存在していたが、それらを1つに統合。新たなアカウント名「阪急交通社【公式】」として2023年11月にリスタートした。統合前のアカウントでは、各アカウントごとに「友だち」獲得や販売チャネルとしての取り組みにばらつきがあったという。統合によって会社全体で足並みをそろえ、戦略やフロー、運用体制を整えた

阪急交通社の公式LINEアカウント
阪急交通社の公式LINEアカウント

「阪急交通社【公式】」では、 全国で実施しているキャンペーン情報や、顧客の居住地と興味関心に合わせた商品紹介など、1人ひとりに合わせた個別最適な情報を継続的に配信している。

統合後、LINE公式アカウント経由の月間売上は増加しており、LINE公式アカウントの「友だち」も堅調に増えている。 2026年5月現在、「友だち」数は約89万人となっている。

「LINE」は事業者とお客さまにとって身近なコミュニケーションツールだからこそ、安易に使うのではなく、きちんと再設計する必要があると感じた。(DX戦略事業本部 ウェブ戦略部 宇和川 匠氏)

株式会社阪急交通社 DX戦略事業本部 ウェブ戦略部 ウェブ戦略二課
課長 宇和川 匠氏(※肩書きは登壇当時) 

1991年阪急交通社に入社。20年にわたり情報システム部門で基幹システムの構築、ネット決済導入、顧客データの統合管理とCRM推進を担当。2013年に現ウェブ戦略部に異動。自社ECサイト阪急トラベルコムの管理運営、Web広告を含めWebマーケティング全般に携わる。2019年からはより商品に近いWeb販売セクションにてプッシュ媒体を統括、特にLINEについては現在全社運用責任者として推進している。

「SNS」から「顧客直結のプッシュ媒体」へLINEの立ち位置を再定義

阪急交通社が「LINE」活用で最初に整理したのは、「LINE」をどのようなチャネルとして位置づけるかだった。SNSの延長として捉えると、フォロワー数や反応率に一喜一憂することになりやすい。「LINE」を“企業からの投稿を見に来てもらう場”ではなく、“必要な情報を確実にお客さまへ届けるためのプッシュ媒体”として再定義した。

「LINE」はSNSというより、通知に近い存在だと考えている。だからこそ、発信する情報の質や頻度には慎重になる必要がある。興味のない情報を一方的に送り続ければ、ブロックされてしまうリスクも高い。(宇和川 匠氏)

「LINE」をメルマガやアプリに次ぐプッシュチャネルの1つとして位置付けている
「LINE」をメルマガやアプリに次ぐプッシュチャネルの1つとして位置付けている

メール、広告、Webサイトなど既存チャネルとの役割分担を明確にし、その中で「LINE」が担うべき役割を見つめ直した。

リーチ数よりエンゲージメント。長期的なLTVを最大化する「友だち」戦略

「LINE」のアカウント統合後、阪急交通社が重視してきたのは、「友だち」の数をやみくもに増やすことではなく、「どのような関係性を築けるか」だった。広告を展開して「友だち」数を伸ばせばリーチは広がるが、その分、配信コストの増加やブロック率の上昇といった課題も生じる。こうしたリスクに重きを置いた。

「友だち」獲得においては、広告出稿によるマス集客ではなく、阪急交通社が行う旅行説明会、イベント、展示会の参加者、既存顧客などを中心に「友だち」登録を呼びかけ、阪急交通社のサービスを理解した上で登録を促す導線を敷いている。

狙いは、「LINE」を単なる情報配信チャネルとしてではなく、継続的なコミュニケーションが成立する場として設計すること。「LINE」は“会話ができる関係性”を作れるかどうかが重要だと考えており、長期的な顧客関係の構築を重視している。(宇和川氏)

この考え方は、配信設計にも影響を与えている。誰にでも一律に同じ情報を届けるのではなく、関心や行動に応じたコミュニケーションを前提とすることで、LINEを「売り込みの場」にしない運用をめざしている

阪急交通社では角度の高い「友だち」の獲得を重視している
阪急交通社では角度の高い「友だち」の獲得を重視している

「質の高い顧客」を逃さない導線

阪急交通社の「LINE」活用の特長は、「友だち」獲得の起点としてリアルな接点を重視していること。

オンライン広告を活用すれば、短期間で多くの友だちを集めることはできる。しかし阪急交通社は、あえてその方法を主軸に置いていない。理由は明確で、登録後のコミュニケーションの質を重視しているからだ旅行説明会など、リアルな場でサービスや商品への理解を深めた上で登録してもらうことで、その後の配信内容も受け入れられやすくなる。

こうした導線の設計は、リアルとデジタルを地続きに考える姿勢の表れでもある。リアルな接点の場で生まれた関心や期待を、そのまま「LINE」上のコミュニケーションにつなげることで、登録時点から一定の関係性が成立する。獲得数は限定的でも、結果として“角度の高い友だち”が蓄積されていく構造だ。

リアルの場で話した方が「LINE」アカウントを登録してくれると、その後の反応がまったく違う。最初の接点をどのように作るかはとても重要。(宇和川氏)

リアルの場で接した顧客を中心に「友だち」登録を呼びかけている
リアルの場で接した顧客を中心に「友だち」登録を呼びかけている

属性×行動で解像度を上げるセグメント配信

阪急交通社のLINE運用では、セグメントした配信設計を前提にコミュニケーションを組み立てている。顧客の属性や関心、行動履歴に応じて情報の出し分けをしている。

旅行という商材は、検討期間や関心の度合いが顧客ごとに大きく異なる。そのため、全員に同じ情報を届けると、関係の薄い顧客には過剰な通知になりかねない。配信頻度や内容を抑制し、必要な人に必要な情報だけを届ける設計が、継続的な関係構築につながっている。(宇和川氏)

こうした配信設計は、短期的な反応率よりも、長期的な信頼を重視する考え方に基づいている。LINEを“即効性のある販促ツール”として使い切るのではなく、顧客との距離を保ちながら関係を深めるための基盤として位置づけている点が特長だ。

過剰な通知はブロックの要因となるため、セグメント配信は欠かせない
過剰な通知はブロックの要因となるため、セグメント配信は欠かせない

阪急交通社における「LINE」の役割は、即時に売り上げを生むことだけに置かれていない。「LINE」は購買を直接促す場であると同時に、検討段階の顧客に安心材料や判断軸を提供する場として位置づけられている。

高関与商材特有の課題を突破

旅行という高関与商材においては、検討から購入までのプロセスを支えることが重要だ。説明会情報や関連コンテンツの案内など、顧客の意思決定を後押しする情報提供を重ねることで、結果的に購買につながる関係性を作っている。LINEは“売るための一手”ではなく、顧客との距離を縮めるための基盤として機能している(宇和川氏)

「阪急交通社【公式】」の運用を開始した2023年11月から、コンバージョンは徐々に右肩上がりで推移している。

阪急交通社におけるLINE公式アカウントのコンバージョン推移
阪急交通社におけるLINE公式アカウントのコンバージョン推移

数値の裏側にある「信頼」を積み上げる

「LINE」の運用を継続する中で、阪急交通社では新たな課題も見えてきた。配信頻度や内容の最適解は固定化できず、顧客の反応を見ながら調整を続ける必要がある。また、セグメントを細かく設計するほど運用の手間は増え、社内体制や工数とのバランスも問われる。

さらに、成果を短期的な数値だけで測りにくい点も難しさの一つだ。「LINE」は即効性のある販促チャネルではあるが、中長期で顧客との信頼を積み上げる役割も同時に担う。その二面性をどう評価し、社内で共有していくかは、現在も模索が続いている。完成形を定めるのではなく、変化に合わせて運用を更新し続ける姿勢が求められている。

LINE運用に“正解”があるとは思っていない。お客さまの反応や環境の変化に合わせて、その都度考え続けるしかない。(宇和川氏)

阪急交通社におけるLINEアカウントの運用体制。LINEチームが中心となって各施策を展開している
阪急交通社におけるLINEアカウントの運用体制。LINEチームが中心となって各施策を展開している

「完成形」を求めず、試行錯誤を前提に運用を続けること。顧客1人ひとりに真摯(しんし)に向き合う姿勢が、阪急交通社の「LINE」活用の真髄となっている。

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