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アスクルは何を変えるのか? ランサムウェア被害を経て成松新社長が進める「意思決定」「AI」「物流」改革​​

ランサムウェア被害からの復旧と業績回復を進めるアスクルが、新社長CEOに成松岳志氏を選任した。成松社長は、意思決定の高速化、AI活用の実装、物流品質の強化、新規事業の創出を通じて、中期経営計画「Beyond Retail」の実現をめざす

鳥栖 剛[執筆], 吉田 浩章[撮影]

8:00

アスクルが次の成長ステージに向けて経営体制を刷新、2026年8月6日付で成松岳志氏を代表取締役社長CEOに選任した。成松社長は2007年にアスクルへ入社。BtoBマーケティング、LOHACO、データ活用、デジタルマーケティング、ロジスティクス、事業戦略といった責任者を務め、EC事業のバリューチェーンを幅広く経験してきた人物だ。2025年に発生したランサムウェア攻撃からの復旧を進める一方、中長期ビジョン「Beyond Retail―小売を超えて、働くを革新する―」の実現に向け、新規事業、AI、物流などへの投資を進めているアスクル。成松新社長に、経営体制刷新の狙い、ランサムウェア被害から得た教訓、AI活用、物流戦略、そしてアスクルがめざす次の成長について聞いた。

経営体制を刷新、意思決定の大胆さと速度を高める

2026年5月期の連結業績は、売上高が前期比16.8%減の4001億9900万円、当期純損失は221億5000万円(前期は90億6800万円の黒字)。ランサムウェア攻撃の影響に加え、物流効率の低下、物流拠点の再編、基幹システム関連費用などが響いた。

一方、2027年5月期は売上高4900億円、当期純利益40億円を計画。売上高は前期比22.4%増を見込んでおり、事業の正常化と成長再加速をめざす。

連結業績の推移と見込み(画像はIR資料から編集部がキャプチャ)
連結業績の推移と見込み(画像はIR資料から編集部がキャプチャ)

こうしたタイミングで実施したのが経営体制の刷新だ。

成松社長は、新社長就任や取締役会の再編について、単なる世代交代ではなく、中期経営計画を実行するための意思決定力を高める狙いがあると説明する。

これから先、今の中期経営計画を実現していくうえで重要なのは、既存ビジネスの延長線上での成長だけではありません。新しい事業への進出も含めて、変革の多いプロジェクトをどう実現するかが問われています。そのためには、意思決定の大胆さと速度を上げることが必要です。今回の経営体制の見直しも、その実行力を高めるためのものです。

取締役会をスリム化したのも、単に人数を減らすことが目的ではなく、変革と成長に向けて、より速く、より本質的な判断ができる状態を作るためです。

アスクルはこれまでガバナンスを強く意識して体制を整えてきました。今後はその土台の上で、成長に向けた意思決定の機動力をより高めていく段階に入ったと考えています。(成松社長)

アスクルの代表取締役社長CEOに就任した成松岳志氏
アスクルの代表取締役社長CEOに就任した成松岳志氏

取締役会は13人から10人にスリム化

今回の経営体制刷新では、取締役会を13人から10人にスリム化した。独立役員が過半を占めるガバナンス体制を維持しながら、変化への対応力と意思決定の速度を高める。

背景にあるのが、2050ビジョンの実現に向けた2035年までのマイルストーン「Beyond Retail~小売を超えて、働くを革新する~」の実行である。

「Beyond Retail」が示すのは、多角化ではなく顧客課題の再定義

アスクルが掲げる「Beyond Retail」は、既存のECや物販事業の周辺領域へ単純に事業を広げる構想ではない。成松社長は「どの顧客の、どのような課題を解決する企業になるのか」を改めて定義する考え方だと説明する。

「Beyond Retail」は、単に物販を超えて何か別のことをやる、という意味ではありません。私たちがこれから、どのようなお客さまに対して、どんな課題を解決していくのか。その大きな方向性を示すメッセージです。

いまアスクルができていることは、必要な商品を購入いただいて、明日届けるという領域です。もちろんこれはアスクルの大きな強みですが、お客さまが将来直面する課題はそこにとどまりません。特に企業のお客さまにとっては、労働力不足がこれからの重要な課題になる。だからこそ、小売を超えて、働くことそのものをどう支えられるかを考えなければならない。

それは人材派遣を行う、転職サービスを始めるといった単純な話ではありません。足りない労働力をどう補うか、今いる人の生産性をどう上げるか、辞めずに働き続けられる環境をどう支えるか。そうした課題に対して、新しい市場を創造することが私たちの挑戦です。(成松社長)

新事業は既存事業であるリテールの「圧倒的な顧客基盤」「売り場から配達までのビッグデータ」「商品力・物流力・営業力」といったアセットを活用し推進していくという(画像はIR資料から編集部がキャプチャ)
新事業は既存事業であるリテールの「圧倒的な顧客基盤」「売り場から配達までのビッグデータ」「商品力・物流力・営業力」といったアセットを活用し推進していくという(画像はIR資料から編集部がキャプチャ)

中長期ビジョンでは2035年にEBITDAの半分を新規事業領域が占める構想

アスクルが2025年7月に公表した中長期ビジョンでは、2035年にEBITDA(利払い・税引き・償却前利益)の半分を新規事業領域が占める構想を掲げている。2029年5月期までに最大1000億円を投資し、新規事業で売上高200億円、営業利益20億円をめざす。

中期ビジョンについて(画像はIR資料から編集部がキャプチャ)
中期ビジョンについて(画像はIR資料から編集部がキャプチャ)

既存の物販事業で築いてきた顧客基盤や物流網、データなどを活用しながら、顧客企業が抱える業務や働き方の課題を解決するソリューション領域へ事業を広げる構想だ。

ランサムウェア被害で見えた「技術」と「組織」の課題

アスクルにとって大きな転機となったのが、2025年10月に発生したランサムウェア攻撃だった。事業や物流に大きな影響が及び、復旧には時間を要した。一方で、この危機対応を通じて、サイバーセキュリティだけでなく、組織横断の意思決定や情報共有にも課題が見えたという。

成松社長は復旧の責任者として、商品、ECサイト、調達、物流、受注、コールセンターなどの責任者を毎日集め、復旧状況を確認しながら意思決定を進めた。

今回の件では、お客さまをはじめ多くの方にご迷惑をおかけしました。その反省は大前提としてあります。そのうえで、何が足りなかったのかを直視すると、技術面と組織面の両方に課題がありました。

技術面では、監視のレベル感、そして復旧のためのバックアップ体制がサイバーセキュリティに十分適したものだったかという点です。EDRの刷新や監視体制の強化、バックアップの見直しなど、短期的な技術対応はほぼ完了しています。ただ、攻撃は常に進化するので、守る側のアップデート速度をどう担保するかが次のテーマです。

一方で、もっと本質的だったのは、誰が意思決定のボールを持つのかが曖昧になる領域があったことです。システムの問題でありながら物流でもあり、サービスでもある。そういうテーマに対して、部門横断でどう決めるか。この課題は、危機時だけでなく平時の経営にも通じています。(成松社長)

アスクルが取り組む再発防止策(画像はIR資料から編集部がキャプチャ)
アスクルが取り組む再発防止策(画像はIR資料から編集部がキャプチャ)

アスクルは2026年3月、全社の情報セキュリティを統括するCISO(チーフ・インフォメーション・セキュリティ・オフィサー)をCEO直下に設置した。セキュリティを個別の執行部門の機能としてではなく、全社のルールやポリシーを横断的に管理する体制へ見直した。

新体制について(画像はIR資料から編集部がキャプチャ)
新体制について(画像はIR資料から編集部がキャプチャ)

危機対応の中で構築した組織横断の意思決定プロセスを、平時の経営にも定着

ただ、成松社長が重視するのはセキュリティ体制だけではない。危機対応のなかで構築した組織横断の意思決定プロセスを、平時の経営にも定着させようとしている。

復旧の現場では、毎日40人前後のキーマンが集まりました。1週間後にどのセンターでどこまで状況が戻るのか、出荷能力が何%まで回復するのか、その限られた余力をどのお客さまにどう振り分けるのか。全員が同じ情報を持ち、その場で決めなければ間に合わなかったのです。その時に痛感したのは、この意思決定の速度こそが本来必要な速度だったということ。

ランサムウェア攻撃対応のための臨時運営ではなく、平時の経営にもこのサイクルを実装しなければいけない。今も週3回、全ファンクションが集まり、その場で決める運営を続けています。アスクルはバリューチェーンが長い会社です。だからこそ、縦割りの間に落ちるテーマをなくし、全体最適で動ける状態を日常化することが重要だと考えています。(成松社長)

危機対応で構築した情報共有と意思決定の仕組みを、通常の事業運営にも取り入れる。ランサムウェア被害を経て、アスクルは組織運営そのものの見直しを進めている。

AIは「部分的な活用」から事業の中核へ

成松社長は、アスクルで長くデータ活用やデジタルマーケティングを担当してきた。2014年にはEC店舗運営&ビッグデータ統括部長に就任。その後もデジタルマーケティングやアナリティクス領域を率いてきた。

現在、アスクルが進めるAI活用については、個別業務の効率化から、事業の重要なプロセスを変える段階へ進んでいると見る。

部分的にAIツールを試す段階は、もう越えたと思っています。事業の本丸に入ってきたのは、基幹のコアデータとつながり、重要な業務プロセスをAIベースに置き換えられると社員が実感し始めた瞬間からです。

分析、計画、検証といった工程は、これまでアナリストが時間をかけて行っていたことを、もっと大きな分量で、もっと速く回せるようになります。さらに大きいのは、人間が担ってきた実行プロセスの設計にもAIが入ってきたことです。いま特に急いでいるのは、セールスとマーケティングのAI駆動化です。

お客さまごとに、なぜこの提案をするのか、何を提案するのか、その計画自体をAIが瞬時に作る。提案書の生成まで含めて、お客さま接点の一部をAI駆動ベースに置き換えていく。これは単なる効率化ではなく、顧客価値の作り方そのものを変えるテーマです。(成松社長)

2027年5月期の業績計画では、AI関連投資も織り込む。

営業利益改善では、売上高の回復、粗利率改善、物流費削減などを見込む一方、セキュリティ対策やAI関連投資によるコスト増も計画している。

AI活用について、成松社長が重視するのはECサイト上の自動化だけではない。営業担当者による提案、電話や紙媒体を通じた顧客接点など、デジタル以外も含めたセールス・マーケティングプロセス全体をAIで再設計する考えだ。

BtoB事業では、顧客ごとに異なる購買履歴や事業特性、ニーズを踏まえた提案が求められる。アスクルが保有する購買データや顧客データとAIを組み合わせることで、提案内容の設計から営業活動までのプロセスを変えていく構想がある。

画像はIR資料から編集部がキャプチャ
画像はIR資料から編集部がキャプチャ

物流で重視するのは「最速」ではなく「確実性」

成松社長は2023年にロジスティクス本部長に就任し、ASKUL LOGISTの取締役も務めた。

EC物流では配送スピードが競争力として注目されやすいが、成松社長は特にBtoBにおいては「確実に届くこと」が重要だと考えている。ランサムウェア攻撃後の事業復旧や顧客の利用状況を分析するなかで、その価値を改めて認識したという。

復旧の過程で一番学んだのは、お客さまにとって物流の価値は、単に一番速いことではなかったということです。とくにBtoBでは、最短で今日届くことよりも、「明日必ず届く」と約束できることの方が重要でした。仕事の現場では、「早ければ今日、でも遅ければ明後日」では困るのです。明日絶対に来る。だから明後日の業務に確実に使える。このコミットメントこそが価値だった。

さらにBtoBでは、どこに、どう届けるかという納品品質も非常に重要です。館内ルールや設置場所の制約もある。だから、物流の進化は単にマテハンを入れて効率化するとか、ドライバーを標準化するといったテクノロジーの話だけではありません。その先に、何をお客さまとの約束として設計するのかがまず大事です。

アスクルは「明日来る」を社名に持つ会社として、そのコミットメントに徹底的にこだわり続けたいと思っています。(成松社長)

物流の効率化や自動化を進めながらも、その目的はコスト削減だけではない。

BtoBでは、顧客企業の業務を止めないことが物流サービスの重要な役割になる。指定された日に必要な商品が届くことや、オフィス・施設ごとの納品条件に対応することなど、配送品質そのものが顧客価値につながる。

アスクルは物流を、単なるECのバックエンド機能ではなく、「働く現場」を支えるインフラとして位置付けている。

データ、AI、物流を基盤に「働く」を支える企業へ

アスクルは2027年5月期を、売上回復と構造改革を進め、成長再加速につなげる重要な1年と位置付けている。ランサムウェア攻撃による影響は大きかった。一方で、その復旧過程では、セキュリティだけでなく、組織横断の意思決定、情報共有、物流品質など、今後の経営に必要な課題も明らかになった。

新体制では、既存のEC・物販事業の回復に加え、DX、ウェルビーイング、BPOなどの新規事業領域へ投資する。

AIについては、業務効率化にとどまらず、営業やマーケティング、顧客提案のプロセスそのものを変える可能性を見込む。物流では、配送スピードだけでなく、BtoBの業務を支える納品品質や確実性を競争力として高めていく。

「Beyond Retail」は、こうした取り組みを個別に進める構想ではない。EC、データ、AI、物流という既存事業で培ってきた基盤を活用しながら、顧客企業やそこで働く人が抱える課題へ事業領域を広げる。

アスクルが「Beyond Retail~小売を超えて、働くを革新する~」というマイルストーンをどこまで具体的な事業として形にできるのか。新社長のもとで始まった経営体制の刷新と新規事業への投資が、今後の成長を左右することになりそうだ。

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