EC事業で押さえておくべきPL構築のポイント

売れるほど赤字?「980円トライアルモデル」の罠。「投資回収シミュレーション」で検証する投資回収の現実

顧客行動をベースにしたKPI設計、投資設計シミュレーション、事業PLの作成法などEC事業の数字を「行動から設計する」考え方を解説します【連載4回目】

川部 篤史[執筆]

8:00

初回980円のトライアル価格で顧客を広く獲得し、定期購入に引き上げることで事業として投資を回収していく――。このモデルはEC・通販業界で広く採用されており、多くの事業者が一度は検討、あるいは実施しているのではないでしょうか。確かによく見かけるモデルですが、本当に事業として成立しているのでしょうか。「投資回収シミュレーション」の考え方を活用し、実際の数値を当てはめながら検証していきます。

ケーススタディで学ぶ、事業として回収できる構造

今回のケースは、次の条件でシミュレーションします。本品価格は4980円、トライアル商品は980円。トライアルの顧客獲得コスト(CPA)は3000円と仮定します。この時点でトライアルのROAS(広告費用対効果)は約30%で、初回は赤字です。ここから定期購入への引き上げでトライアルコストを回収していく構造です。

引き上げについては、トライアルからその場で初回半額定期に移行する割合が25%、さらにその後のフォロー施策で残りの顧客の約10%が引き上がると仮定し、最終的な定期引き上げ率は31.8%としています。

F(購入回数)ごとに販売価格が変化する前提で設計
F(購入回数)ごとに販売価格が変化する前提で設計
「広告直ROASが低くても事業として回収可能か」を判断するために、F0・F1だけを見ると赤字になる前提で設計
「広告直ROASが低くても事業として回収可能か」を判断するために、F0・F1だけを見ると赤字になる前提で設計

このモデルの前提として押さえておきたいのは、トライアル商品は単なる「安い商品」ではないという点です。定期への引き上げを目的とするため、同梱物やフォロー施策など、顧客コミュニケーションを手厚く設計します。

その結果、販促物のコストが上がりやすく、場合によってはパッケージや構成品を含めた商品原価そのものが本品より高くなることも珍しくありません。つまり、トライアル商品は見た目以上にコストのかかる設計になりがちです。

この前提で、継続構造を見ていきます。F1からF2への移行率を60%、F2からF3を75%、F3からF4を80%、F4からF5を85%、F5からF6を90%、そしてF6以降は95%で安定すると仮定します。このような数値は実務でもよく見られるレンジです。

この継続率をもとに、顧客1人あたりの累積損益を算出していくとどうなるか。結論から言うと、この条件で投資は回収できません

フルフィルメント費用、CC費、決済コストなどがかかりすぎる

なぜ回らないのか――。その理由はシンプルで、粗利構造に対してコストが重すぎるからです。まず本品価格4980円に対して原価率を20%とすると、1回あたりの粗利はそれほど大きくありません。さらにここにフルフィルメント費用が加わります。ピッキング、梱包、資材、配送を含めると、1回あたり約700円のコストがかかるケースは少なくありません。この金額は粗利に対して非常に大きな割合を占めます。

また受注や問い合わせでのメールやチャット、電話対応によるコミュニケーションコスト(CC費)も意外と大きな影響を与えます。特に定期購入では、解約は電話のみ受け付けている場合もよく見かけます。人的対応が増えると、その応対コストはかさみがちになります。

加えて決済コストも無視できません。クレジットカード決済であれば一般的に約3%の手数料が発生しますが、売価が4000円を超えてくると、この比率負担も徐々に効いてきます。一方で後払いの場合は1件あたり約100円程度の定額コストがかかるケースが多く、購入単価が上がるほど費用比率としては下がる構造になります。

いずれにしても継続回数が積み上がるなか、毎回利益を薄く削り取っていきます。こうした決済コストも含めて考えると、物販における収益構造は想像以上にシビアです。

トライアルモデルでは、いかに本品定期購入へと誘引できたかが大事なポイントとしてあげられますが、このモデルが成立するかどうかは、引き上げ率の高さだけで決まるわけではありません。

むしろその前に、粗利構造がきちんと確立できているかが大きな前提条件になります。いくら引き上げ率が高くても、1回あたりで積み上がる利益が小さければ、投資回収には至りません。逆を言えば、粗利構造がしっかりしていれば、多少引き上げ率が低くても成立するケースもあります

今回のケースでは、限界利益ベースでの投資回収はできないという試算結果に
今回のケースでは、限界利益ベースでの投資回収はできないという試算結果に

隔月定期、後払いの活用などの改善策を考える

ではどうすればいいのか。現実的な改善策の1つが、1回あたりの容量を増やしてお届け間隔を伸ばすという、いわゆる隔月定期などの設計です。

たとえば、30日分の定期ではなく60日分の定期にすることで、売り上げは単純に倍になりますが、配送や梱包、決済といったコストは1回分で済みます。その結果、限界利益が大きく改善されます。特に物流コストと決済コストは回数に依存するため、この設計変更のインパクトは大きいと言えるでしょう。

平均購買期間は60日分相当が80日間隔で発生する、定期引きあがり、F別推移はそこまで変化がないとして同一とする
平均購買期間は60日分相当が80日間隔で発生する、定期引きあがり、F別推移はそこまで変化がないとして同一とする
本品1か月分4980円を2か月分9960円で試算した場合、投資回収が35か月で可能になる結果に
本品1か月分4980円を2か月分9960円で試算した場合、投資回収が35か月で可能になる結果に

また、後払いの活用も1つの選択肢です。定額コストである後払いは、単価が上がるほど費用比率が下がるため、複数月定期と組み合わせることで収益構造を改善できる可能性があります。もちろん未回収リスクは考慮する必要がありますが、価格帯や顧客層によっては十分に成立するケースもあります。

さらに、根本的には商品設計そのものの見直しも必要です。物販の場合、原価と物流という構造的な制約がある以上、一定の価格帯で単品リピートモデルを成立させるには限界があります。同じモデルでも、情報商材やデジタルサービスであれば原価や物流コストがほぼ発生しないため、成立条件は大きく変わります。つまり、ビジネスモデルは商材特性と切り離して考えることはできません

EC事業は、構造を理解し、自社に合わせて設計することで成立する

初回980円トライアルモデルは、決して簡単に回るものではありません。むしろ設計を誤ると、売り上げが伸びるほど赤字が拡大する構造になりやすいモデルです。だからこそ、感覚や業界慣習ではなく、顧客単位の「投資回収シミュレーション」で構造を検証することが重要になります。

EC事業は、モデルをまねるだけでは成立しません。構造を理解し、自社に合わせて設計することで初めて成立します

今回解説したシミュレーションはあくまで一例ですが、こうした試算を実際に手元で動かしながら検証することで、事業の見え方は大きく変わります。もし、より具体的に自社の条件に当てはめて検討したい場合は、実際に使用している試算ファイルを参考にしてもらうことも1つの方法です。

今回のようなモデルをそのまま再現し、数値を変更しながらシミュレーションできるファイルを、以下のnoteで有料提供しています。実務でそのまま使える形に整理しているため、投資回収の考え方を具体的に理解したい方には役立つはずです。

▶試算ファイルの実物はこちらのnoteで(有料販売):https://note.com/kawabe_atsushi/n/n10affbd7f284

価格は9800円としていますが、実際の事業設計や投資判断に使える前提で作成しているため、十分に元が取れる内容にしているつもりです。必要に応じてご活用ください。

◇◇◇

次回以降も、今回取り上げたモデルと並んで業界で広く採用されている「初回半額定期モデル」「サブスクリプションモデル」といった代表的な事業パターンを横断的に整理し、それぞれがどのような収益構造になっているのかを比較しながら解説していきます。

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