あなたは今、自社で取り扱っている商品の値上げを躊躇(ちゅうちょ)していませんか? 円安や原材料高騰が業界を直撃し、多くの事業者が「値上げしなければ利益が出ない」というジレンマに直面しています。2026年、大きな転換点を迎える国内EC業界で勝者を決定づけるのは「値上げの覚悟」と、安易な値上げではない「価値の伝え方」です。事例を交えて勝ち筋の手法を解説します。
2026年のEC業界を襲う「値上げ圧力」
米国に本社を置くコンサルティングファームMcKinsey & Company(マッキンゼー&カンパニー)の研究部門は、2024年10月に発表したレポート「The next big arenas of competition」で、世界のEC市場を「成長アリーナ」として位置づけ、2022年に4兆ドルだったEC市場規模は、2040年までに14〜20兆ドルへと拡大する見込みと分析しています。
日本のEC市場も着実に成長を続けており、経済産業省の調査によると2024年時点で物販系EC市場規模は約15兆円(前年比3.7%増)に達しました。しかしEC化率は依然として9%台にとどまり、特に食品・日用品分野では大きな伸びしろが残されています。
2026年は、この潜在市場を開拓できるかの分岐点になるでしょう。外部環境の変化に適応し、価格戦略を見直した企業だけが、この成長市場の恩恵を受けられると考えています。
EC事業者を取り巻く3つの外部環境
2024年から続く円安基調は2026年も継続し、EC事業者を取り巻く環境は厳しさを増しています。現在、EC事業者には三重の外部圧力がかかっていると言えます。
- 円安の長期化:輸入原材料費・海外仕入れコストの高止まり
- 原材料価格の高騰:世界的なインフレ基調により、国内外を問わず仕入れ価格が上昇
- 物流コストの増加:人手不足と燃料費高騰により、配送料が上昇傾向
多くのEC事業者が直面しているのは、「値上げしなければ利益が出ない」という厳しい現実です。しかし、日本の消費者は価格変動に敏感です。安易な値上げは顧客離反を招き、かといって価格を据え置けば経営が立ち行かなくなる――このジレンマへの向き合い方が、2026年の最重要課題になります。
唯一無二の価値を生かした値付けの成功事例
「高くても売れる」ワケ。北海道ニセコのスキーリゾートに学ぶ値上げの教訓
価格戦略の成功事例の1つとして、北海道・虻田郡(あぶたぐん)ニセコ町東山温泉の「ニセコビレッジスキーリゾート」の取り組みを紹介します。パウダースノーの聖地として著名なスキー場を有するリゾート地です。
リゾート内のスキーエリア「ニセコユナイテッド」の全山共通リフト1日券は、1万2000円(レギュラーシーズン料金/2026年3月現在)。国内の他のスキー場と比較すると、約2〜3倍の価格設定です。
多くの日本人はこの価格を「高い」と感じるでしょう。しかし、実際は外国人観光客を中心に高い人気を集め、地域経済を支える存在となっています。
「高くても売れる」理由は、「パウダースノー」という圧倒的な価値の存在と、その価値を正しく伝えるマーケティング。ユーザーの期待を裏切らないブランド化とも言えます。そして口コミの信頼性やリピーター利用によるものです。
北海道大学の調査によると、豪州のスキー場のトップシーズンリフト券は1日あたり約2万円。それに比べれば、世界最高品質のパウダースノーを1万2000円で楽しめるニセコは「むしろ割安」なのです。
「ニセコユナイテッド」は値下げ競争に参加せず、「世界最高品質のパウダースノー」という独自価値を明確に打ち出し、それに見合った価格を設定しました。結果として、価格に見合う価値を理解する顧客層を獲得し、地域全体の収益性を高めたのです。
この事例からわかるのは、「価値を正しく伝えれば、適正価格でも顧客は納得する」という原則です。良いものを望む人の口元まで運ぶことさえできれば、顧客は自然とその価値を受け入れます。
ただし、ニセコの事例には注意点があります。現在のニセコは、外国人が価値の再定義を主導し、外国人観光客が中心となって経済が回っています。「日本人が主体となった地域活性化」とは言い難い状況であり、地価の高騰や生活コストの上昇により、地元住民の生活に影響が出ているという指摘もあります。
国内外のファンを引き付ける長野県 野沢温泉村
長野県の野沢温泉村は、日本人と外国人の両方を引き付ける形で地域活性化を実現しています。野沢温泉スキー場のリフト1日券は大人7500円と、北海道のニセコよりも手頃な価格設定ながら、質の高い「パウダースノー」と温泉文化を組み合わせた独自の価値提案で成功を収めています。
野沢温泉村が特筆すべきなのは、東京など都市部で活躍してきたビジネスパーソンが地域に移住し、その企画力を生かして村を活性化させている点です。彼らの手によって、温泉街での飲食や地元文化体験といった「アフタースキー」の充実、ふるさと納税を活用したリフト券販売など、国内顧客の満足度を高める施策が次々と生まれています。日本人・外国人双方に響く価値の伝え方によって、野沢温泉村では持続可能な地域活性化が実現できているのです。
ストーリーを魅せる「ナラティブ型」の成功事例
ニセコや野沢温泉村の成功は、どちらも世界最高品質の「パウダースノー」を保有するという圧倒的な価値を正しく伝え、適正価格で提供した結果です。
しかし、商品そのものに「世界最高」と言えるほどの圧倒的な差別化要素がない場合はどうすればいいのでしょうか?
その答えは「ナラティブ(ストーリー)」です。ナラティブとは、単なる商品説明や事実の羅列ではなく、商品の背景にある物語や文脈を通じて、顧客の心に響く形で価値を伝える手法です。「この商品の存在理由」「誰がどのような思いで作っているのか」「それを手にして得られる体験」――こうした物語を丁寧に紡ぐと、商品に新たな価値を付加し、価格以上の価値を顧客に感じてもらえます。EC業界では、このナラティブの力を活用して成功している事例が増えています。
開発ストーリーを伝える「Mr. CHEESECAKE」
ミシュランを獲得した「TIRPSE(ティルプス)」のシェフに弱冠31歳で就任した田村浩二氏が立ち上げたチーズケーキブランド「Mr. CHEESECAKE」は、開発ストーリーや食べ方の提案を丁寧に発信し、クーポンやディスカウントに頼らずブランド価値を確立。シリーズ累計100万本を売り上げるD2Cブランドへと成長しました。
田村氏は「価格を一時的に割り引けば、長い目で見ればブランドにとってはマイナス」と話し、ストーリーと体験価値でファンを獲得する戦略を貫いています。提供しているのは、チーズケーキという商品そのものだけではなく、「人生最高のチーズケーキ」という体験と、シェフの情熱が込められた物語です。
生産者の思いを伝えるオーガニック食品「かわしま屋」
オーガニック食品EC「かわしま屋」は、全国の生産者・職人から直接仕入れた商品を、そのストーリーとともに丁寧に紹介して、直近3年で売り上げを倍増させました。
創業者の河島酉里氏は、前職でCM制作に携わっていた際、大手メーカーの商品が飛ぶように売れる一方で、「真摯(しんし)に作っているのに経営的にカツカツで廃業を考えている小さな醤油蔵」の姿を目の当たりにしたといいます。「もったいない、もっとうまくやれるのではないか」――その思いから、職人や生産者と顔の見える関係を築き、彼らの商品に込められた思いを丁寧に伝えるECサイトを立ち上げました。
興味深いのは、「かわしま屋」で販売されている商品の一部は、越境ECマーケットの「eBay」や個人サイトで10倍の価格で転売されているという事実です。転売はもちろん許されざることですが、見方を変えれば、商品の本質的な価値が国内では適正に評価されていなかったことを示しています。
「かわしま屋」はナラティブを通じて、その真の価値を顧客に伝え、生産者にとっても顧客にとってもWin-Winの関係を構築しています。
30時間の手仕事が99万円の価値を生む伝統工芸「SASHIKO GALS」
日本の伝統工芸ブランド「SASHIKO GALS」も、ナラティブによって価格を正当化している事例の1つです。
「SASHIKO GALS」は、岩手県大槌町の40〜80代の女性たちが、東日本大震災からの復興支援として始めた「刺し子」の技法を用いたプロジェクトです。彼女たちは古着やスニーカーに、伝統的な刺し子の技法で一針一針、丁寧に模様を縫い込んでいきます。
2025年12月、「SASHIKO GALS」はNew Balanceとコラボレーションした刺し子ジャケットを発表しました。価格は99万円。通常のスポーツジャケットの数十倍です。しかし、限定販売した4着は抽選販売で即完売しました。
この価格でも売れる理由は、商品に込められたナラティブにあります。
- 30時間の手作業:1点につき約30時間かけて、職人が手作業で刺し子を施す
- 日本の伝統技法・刺し子:江戸時代から続く、衣服を補強し暖かさを保つための技法
- 震災復興と地域の誇り:東日本大震災で被災した大槌町の女性たちが、伝統技術を次世代につなぐ
「SASHIKO GALS」は単なる服やスニーカーではなく、「日本の伝統工芸をまとう体験」と「地域復興への貢献」を販売しています。購入者は99万円という価格に対し、「30時間の職人の手仕事と、その背景にある物語に対する正当な対価」として納得しているのです。
Appleのティム・クックCEOも、2025年9月の「Apple Ginza」リニューアルオープンイベントで、「SASHIKO GALS」が特別に制作した「Nike Vomero Plusスニーカー」を着用。世界的な注目を集めました。
2026年、EC事業者が取るべき戦略
ニセコ、野沢温泉村、Mr. CHEESECAKE、かわしま屋、SASHIKO GALSの成功事例から、すでに存在する圧倒的な価値を正しく伝える「圧倒的な価値の提供」、物語を通じて新たな価値を付加する「ナラティブによる価値創造」の2つの方法を解説しました。
EC事業者が値上げを検討する前に、自問自答するべきトピックスは次の3つです。
- 自社が取り扱う商品の「本当の価値」は?
- その価値を、どんなナラティブで顧客に伝えられるか?
- 顧客には、あなたが運営するECサイトから買う理由があるか?
2026年、円安と物価高という逆風は避けられません。しかしこの環境下でこそ、「価格」ではなく「価値」で勝負する企業が頭角を現します。
値下げ競争に消耗するのか、それとも価値を正しく伝えて適正価格を維持するのか――その選択が、2026年のあなたのビジネスを決定づけます。

