1時間でのネット販売世界No.1を生んだSNS活用+マーケ戦略とは? 創業140年の老舗中小企業「やすもと醤油」の軌跡

ヒット商品「くんせいナッツドレッシング」でギネス世界記録を達成した老舗中小企業の安本産業。記録達成の裏側やSNSを活用したマーケティング戦略などを取材した

小林 香織[執筆]

8:00

140年の歴史を持つ老舗企業の「安本産業」。昔ながらの製法で仕上げた「醤油」を長らく看板商品としていたが、現在の主力は2016年発売の「くんせいナッツドレッシング」だ。ヒットのきっかけは、「16万いいね」を獲得したXの投稿だった。一気にフォロワーが増加し、売り上げも倍増。2025年8月には、「1時間で最もオンライン販売されたドレッシング」のギネス世界記録を達成し、多方面で話題を集めた。大手と戦わずにヒットを生んだ、老舗中小企業のマーケティング戦略とは――。

狭い市場でNo.1をめざす「ランチェスター戦略」へ方針転換

1885年に島根県松江市で創業した「安本産業」は、140年にわたり家族経営で事業を承継してきた従業員19人の中小企業。厳選した島根県産丸大豆を使い、1年半にわたり発酵・熟成させ、圧搾・火入れを行う昔ながらの製法で仕上げた醤油ブランド「やすもと醤油」で事業を開始した。

しばらくは地域の顧客向けに醤油を販売していたが、業績が低迷したことから、2014年以降は新商品の開発に着手。現在、収益の約97%を占めるのは「ドレッシング商品」だ。2016年に発売した「くんせいナッツドレッシング」(480円)をはじめ、全4種類を販売する。

2012年に安本産業に入社し、経営、商品開発、製造など幅広く担当する安本寿政専務は、「しょうゆ作りに本気で向き合った結果、難しさに直面した」と当時を振り返る。

2016年以降、安本産業の主力商品は「ドレッシング」だ
2016年以降、安本産業の主力商品は「ドレッシング」だ(画像提供:安本産業)

本物志向の高品質な商品を作れば自然と売れるだろうと考えていましたが、そうではありませんでした。当時、参加したビジネスセミナーで「新商品を次々と出し続けないと生き残れない」と聞き、目を向けていなかった新商品開発に着手しました。大手企業と真っ向から戦うのではなく、狙ったのは「変わり種の領域でスーパーの棚を占領できる商品」です。(安本氏)

安本産業が採用したのは、市場における“強者”と“弱者”、それぞれの視点で競合に勝つための戦略理論である「ランチェスター戦略」だ。弱者は大手競合と同じ土俵で戦わず、市場を細分化して1つの領域でNo.1をめざすべし。そうした考えをもとに開発したのが、2014年に発売した「くんせいしょうゆ」(690円)だ。

狭い市場でNo.1をめざそうと、2014年に発売した「くんせいしょうゆ」
狭い市場でNo.1をめざそうと、2014年に発売した「くんせいしょうゆ」(画像提供:安本産業)

1年半をかけて開発した「くんせいしょうゆ」は、それまでの商品とは比べ物にならないほど、バイヤーの反響が高かった。「この商品でドレッシングを作ってみたらどうか」という意見もあり、さらなる新商品の開発にトライ。そうして誕生したのが、大ヒットとなっている「くんせいナッツドレッシング」だ。

同製品は、「サラダを残さず食べられるドレッシング」をコンセプトとしました。燻製(くんせい)の香りとナッツの食感が印象的で、野菜をモリモリ食べられる味わいに加え、覚えやすいネーミングで「これだ!」とピンときました。(安本氏)

自信作であり、バイヤーの反響は「くんせいしょうゆ」以上に良かったものの、しばらくはそれほど販売数が伸びなかった。しかし2020年8月、SNSのある投稿によって状況が激変することになる。

開始2か月でXの投稿が大バズり。2日で9万フォロワーを獲得

2020年6月、安本産業はホームページのリニューアルと同時に、「やすもと醤油」としてTwitter(現:X)の企業アカウントを開設。安本氏の同級生である従業員がSNS担当者に就任し、「ファンをつなぎとめる目的」で開始した。

2020年に開設したXは、9.1万人のフォロワーを持つ
2020年に開設したXは、9.1万人のフォロワーを持つ(画像は「やすもと醤油」のXからキャプチャ)

時々、「『くんせいナッツドレッシング』が近くのスーパーで買えなくなったのですが、どうすればいいですか?」といった問い合わせが電話などで入ることがあり、安本産業の商品を好きになってくれた方の受け皿の一つとしてSNSを始めました。当時は、コロナ禍に突入したタイミングで、今後の情勢が不透明であったことも背景にありました。(安本氏)

運用を開始して2か月、誰も予想しなかった出来事が起こる。Xの運用にまつわる自社のやり取りをユーモラスに表現した投稿が、「16万いいね」を獲得したのだ。

この投稿を機に、「やすもと醤油」は一気に人気アカウントになった

担当者自身にユーモアのある投稿だという認識はありましたが、フォロワー増を狙う意図はありませんでした。担当者はSNSマーケティングの経験者ではなく、始めて2か月のいわば素人です。私の認識では、投稿がバズった背景には、安本産業の「商品力」があるのではないかと思います。支持を得ている質の高い「商品」と「投稿内容」のギャップをおもしろいと感じていただけたのかもしれません。(安本氏)

この投稿を機に、「やすもと醤油」のフォロワー数は急増。翌日には6万人に到達し、2日後には9万人になった。

バズった後の売れ行きもすさまじく、1秒ごとに売れていくような状況でした。ありがたい反面、安本産業の規模では対応が難しく、投稿の翌日に自社ECサイトでの販売を一時的にストップしたほどです。ドレッシングは複数商品がありますが、製造キャパシティの課題があったことから、短期間で大量生産しやすい「くんせいナッツドレッシング」に一本化して、一定期間はそれだけを販売しました。(安本氏)

スーパーからの問い合わせも急増し、2020年の「くんせいナッツドレッシング」の出荷数は前年比2倍になった。さらに、その翌年には、調味料業界の活性化を目的とする「調味料選手権」で「くんせいナッツドレッシング」が総合1位を獲得。その影響で、出荷数は再び前年比2倍に。その後は、毎年1.2倍ほどのペースで売上増を続けているそうだ。

SNSは「基本の3点」をコツコツ継続。担当者のモチベーションを重視

「やすもと醤油」の2025年11月現在のフォロワー数は9.1万人。明確には把握していないが、安本産業のドレッシングを購入している30~50代の女性が主なフォロワーだという。バズ投稿から数年が経過した今も、目標とする「フォロワー数の維持」が達成できている状態だ。とはいえ、特別なことをしているわけではないという。心がけているのは、以下の3点だ。

  1. 毎日投稿する
  2. リプライに対して返信する
  3. エゴサーチをして、自社商品の会話をしている人がいれば話しかける

とはいえ、すべてを完璧にできているわけではありません。担当者の裁量に任せていて、基本的に私はXの投稿を見ていません。見てしまうと、あれこれ口を出したくなってしまうので(笑)。SNSは一度炎上するとネガティブな影響が非常に大きいので、リスク管理だけは気をつけてもらっていますが、それ以外は担当者の考えを尊重します。最も重要なのは、担当者がモチベーションを維持しながら、コツコツと継続できる環境を整えることだと考えています。(安本氏)

安本産業のXアカウントを見ると、適度に絵文字が使われていたり、クスッと笑えるような社内のやり取りが紹介されていたりする。社内メンバーの写真など社内の雰囲気が見える投稿が多く、非常に親しみやすい印象を受ける。安本氏いわく、「担当者の性格や自社のスタンスが、Xにも大いに反映されている」そうだ。

安本産業には、広告を使ったマーケティングをしない方針があります。よくあるフォロー・リポストでのプレゼントキャンペーンや他社とのコラボなども、ほぼしていません。年に1度、「バズリ記念」としてお得なドレッシングのセットを数量限定で発売する程度です。新規フォロワーを多く獲得するよりも、一度ファンになってくれた方と長くお付き合いすることを重要視しています。(安本氏)

2023年2月からは、Instagramの企業アカウントも運用開始した。Instagramは自社のドレッシングを使ったレシピを中心に掲載しており、現在約1600人のフォロワーがいる。

Instagramではレシピを中心に投稿している
Instagramではレシピを中心に投稿している(画像は「やすもと醤油」のInstagramからキャプチャ)

「ギネス世界記録」を達成。ユニークな挑戦の舞台裏

Xでのバズ投稿を機に認知や販売先を増やしてきた安本産業は、2025年8月、思いきったマーケティング戦略を実施した。「1時間で最もオンライン販売されたドレッシング」の「ギネス世界記録」への挑戦だ。

1時間で約2万本を売り、「1時間で最もオンライン販売されたドレッシング」の記録を達成した

いつかやりたいとネタ帳に記していた戦略でした。挑戦前の状況として、「くんせいナッツドレッシング」の売り上げが落ち着いてきていたのですが、一方で取扱店舗は増加傾向でした。効果を出すなら今だろうと思い、ギネス世界記録の達成を通じてテレビの露出を獲得することを目標としました。(安本氏)

想定外だったのは「予算」だ。個人ではなく企業がギネス世界記録に挑戦する場合は、数百万円が必要になるという。加えて、大量注文を受ける体制を整えるため、数百万円をかけてサーバーも強化した。

当初の想定とは異なる規模となり、これだけの予算をかけて挑戦するなら、100%成功しなければと気が引き締まりました。世の中にない記録だったため、審査の結果、「3000本を超えれば新記録として認められる」ことに。告知解禁日となる開始日の1か月前にSNSとホームページで告知したところ、24時間で26万インプレッション、2000件以上のリポストがあり、挑戦開始前から手応えはありました。(安本氏)

当日は、YouTubeでリアルタイム配信しながら販売を実施した
当日は、YouTubeでリアルタイム配信しながら販売を実施した(画像提供:安本産業)

ギネス世界記録に挑戦した8月23日は、通常1本480円、送料込みで3本2140円相当の「くんせいナッツドレッシング」を、900円・送料無料の特別価格で販売。「やすもと醤油公式オンラインショップ」で、20~21時の1時間限定とした。

原価割れしないギリギリまで価格を下げて販売した
原価割れしないギリギリまで価格を下げて販売した(画像提供:安本産業)

YouTubeでリアルタイム放送をしながら販売すると、開始から約4分で記録達成となる3000本を突破。その後もどんどん伸び続け、同時視聴者数は最大で500名に。結果的に目標の約6倍となる1万9287本を販売した。その後、公式認定員による厳正な確認を経て、正式にギネス世界記録として認定された。

製造キャパシティを考えると2万本以上はキツいと思っていたので、ギリギリの数字でした。売れていくたびに社長である父が無言になっていきましたね(笑)。購入者の22%は地元・島根県からの注文で、結果として全国47都道府県から注文がありました。地元の方の声援はとても心強く、電話や対面で「応援しているよ」と何度も声をかけていただきました。SNSや商品を通じて生まれた人々とのご縁が、記録達成につながったと思います。(安本氏)

老舗企業の挑戦を成功に導いた「2つの要因」

ギネス世界記録の達成後は、4本のテレビ番組のほか、Webメディアなどで幅広く紹介された。挑戦から約1か月が経過し、「くんせいナッツドレッシング」の売り上げは前年同月比で2倍に伸長。自社ECサイトでの販売数だけでなく、スーパーでの取り扱いも急増したという。あまりに反響が大きく、ECサイトでの全商品の販売を一時止めてしまったほどだ。

インパクトのある企画はテレビ露出につながり、売上増も実現した
インパクトのある企画はテレビ露出につながり、売上増も実現した(画像提供:安本産業)
店頭では「世界1位」のポップも。写真は、松江市の「スーパーマーケットマルイ黒田店」の様子
店頭では「世界1位」のポップも。写真は、松江市の「スーパーマーケットマルイ黒田店」の様子
(画像提供:安本産業)

今回の挑戦が成功した背景には、2つの要素があると考えています。1つ目は「ストーリー性」で、“島根の老舗企業による世界一への挑戦”という熱量のある企画が応援したい気持ちにつながったのではないかなと。そして、2つ目は「お客さまへのメリット」で、こちらがより重要だと認識しています。特別価格で買えるというわかりやすいメリットがあったからこそ、購入に加えて周囲の人にも勧めてもらえたのだろうと思います。(安本氏)

事業成長を続ける安本産業では、2026年3月頃から新工場が稼働予定だ。「くんせいナッツドレッシング」のリニューアルのほか、海外展開を見据えて賞味期限の延長に取り組みたいという。「中小企業ならではの戦い方として、大手がやらないような奇抜なことをやる。SNSの炎上商法はおすすめしませんが、まず目立っていくのが大事だと思います」――それが、安本氏が「くんせいナッツドレッシング」のヒットで得た教訓だ。

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