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「Amazonへの逆襲か」「Amazonの最強の対抗馬候補」……かつて、Amazonを脅かし、Amazonに価格勝負を徹底的に挑まれ、その後はAmazon傘下で働いたことがある。そんな人物が立ち上げたスタートアップが注目を集めている。それは7月に正式オープンした「Jet」だ。今回はこの企業を2回に分けて紹介したい。

「Amazon Prime Day」は「Jet」に会員を奪われないための対策?

eコマース界の巨人Amazonは7月15日、年会費制プログラム「Amazonプライム」の会員を対象に「Amazon Prime Day」というイベントを立ち上げたのは記憶に新しいところ。Amazonプライムの会員になれば、この日は普段よりも大幅なディスカウント価格でさまざまな人気商品を購入できるという宣伝文句に誘われ、新規に会員登録をしたユーザーもきっと少なくなかっただろう。

米国の情報通の間では、ホリデーシーズンでもないこの時期にAmazonが大型イベントを立ち上げた本当の理由は、7月21日に正式オープンを控えていたマーケットプレイス「Jet」に会員を奪われないための対策ではないかと噂されている。

「Jet」は米マスコミから「Amazonの最強の対抗馬候補」としてオープンの半年以上前から注目されてきたスタートアップだ。

海外のEコマース界隈からはAmazonの対抗馬として注目される「Jet」①
「Jet」はAmazonの最強の対抗馬となるのか

「Jet」の創設者Mark Lorie(以下ロレ)は私のブログで以前に紹介した「Diapers.com」のCEOを務めた人物。「Diapers.com」はAmazonが扱っていないオムツの販売からスタートし、ベビー用品全般にラインナップを広げ、ロレ氏の采配のもと急速な成長を遂げた。

ところが、「Diapers.com」の躍進を脅威に感じたAmazonが同じ商品分野に進出してきたため、熾烈な価格戦争に突入。最後は赤字に追い込まれた「Diapers.com」がAmazonに5億5000万ドル(約660億円)で買収される形で勝負が決着する。

ロレ氏はAmazon傘下で2年ほど働いた後、2012年に退職。以来eコマースの世界から遠ざかっていた。

Amazonに因縁深い人物がオンラインのマーケットプレイスを立ち上げるために8000万ドル(約96億円)の投資を確保。以前の部下100人を結集してニュージャージで密かに準備に入ったと聞けば、外野が「Amazonへの逆襲」をつい期待してしまうのも無理はない(ただしロレ氏自身は「Amazonに対しても、AmazonのCEOであるジェフ・ベゾス氏に対してもまったく悪感情はない」と説明している)。

「eコマース界のコストコ」を目指して

海外のEコマース界隈からはAmazonの対抗馬として注目される「Jet」②
「Jet」の創設者Mark Lorie氏

「Diapers.com」の売却で残りの一生を悠々自適で暮らせるだけの富を得たはずのロレ氏。その彼が再びeコマースの世界に戻って来たのは理由があるのだという。

AmazonやWalmart.com、Googleなどのメジャープレイヤーがいかに迅速に商品を顧客に届けるかで競い合っているのを眺め、それが本当に消費者が一番望んでいることなのか疑問に思ったからだそうだ。

即日配達や注文から1時間以内の配達といったサービスは、平均よりも裕福で、「価格」よりも「利便性」を重視する消費者をターゲットにしている

しかし、ロア氏が注目したのはそのターゲットから外れたミドルクラスの消費者たちだった。

「ミドルクラス」という巨大な層に属す人たちがオンラインで費やす金額は年々増加している。この人たちにとっては、価格こそが重要なんだ。

「Diapers.com」は「良質なカスタマーサービス」と「迅速な配達」に力を注いだが、「最安値での販売」は優先事項ではなかった

「Diapers.com」で買い物をした顧客のうち、再び同サイトに戻って買物する顧客は5人のうち1人。ロア氏はその原因は価格にあったと考えている。

(消費者に与える価値の中で)価格は依然として王様なんだ

「Jet」のインスピレーションのもとになったのは会員制ディスカウント倉庫型卸売小売チェーンのコストコである。コストコは入荷した商品をパレットに並べた状態で展示することで、商品の管理やディスプレイにかかるコストを削減、徹底した低価格化を実現した。

現在米国では、このコストコやコストコのウォルマート版である「Sam's Club」を筆頭に、低価格路線の会員制チェーン店がしのぎを削っている。これらチェーン店の有料会員の合計数は1億人を突破した。

海外のEコマース界隈からはAmazonの対抗馬として注目される「Jet」③
「Jet」の成長のカギを握るのは徹底した低価格の実現

ロア氏はAmazonを去った数週間後、ニューヨークで投資企業Accel社のSameer Gandhi(以下、ガンジー)氏と昼食をともにした際、会員制のショッピングクラブをオンラインに持ち込みたいと打ち明けた。

まだ芽生えたばかりのアイデアだったが、ガンジー氏はその場で100万ドル(約1億2千万円)の小切手を切り、「これが君のシードマネーだ」と言ってロア氏に渡した。

ガンジー氏はロア氏のアイデアを実現する能力に絶大な信頼を置いている。ロア氏の語る「Jet」の構想に魅力を感じ、投資に踏み切った投資家は他にも数多い。

しかし、懸念もなくはなかった。ロア氏が価格重視の会員制マーケットプレイスを立ち上げてミドルクラスの消費者を取り込むことを、あのAmazonが黙って眺めているだろうか?

「Jet」で売れ行き好調な商品に絞ってAmazonが価格を引き下げ、再び対抗してくる可能性はないとは言えない。

しかし、その戦略を採ればAmazon自身の損失拡大につながってしまう。2014年、Amazonの株価は21%落ち込んだ。投資家たちはただでさえイライラを募らせている状況下、さらにAmazonは現在、インドと中国での市場拡大のために巨額を投じている。

クラウドコンピューティングや「Kindle Fire」などのハードウェアへの投資も継続中だ。それだけで手一杯で、新たな価格競争を仕掛けてくることはないだろうとロア氏は計算している。

それでも、なお投資家やeコマース界の大物からは「彼は自分のエゴで判断力を曇らせている。Amazonに再び挑戦できると考えるのはクレイジーだ」という声があがっている。それに対するロア氏の答えはこうだ。

コストコのビジネスモデルはウォルマートが創設された21年後に登場し、成功した。コストコはウォルマートのビジネスに打撃を与えることはなかった。偶然にも、今年はAmazonが誕生して21年目。我々のAmazonに対する立場はコストコのウォルマートに対する立場と同じだ。Amazonを打倒するのではなく、節約のための新しい方法を紹介するに過ぎない

会員獲得に力を発揮した「Jet Insider」プログラムとその賞品

他のどこよりも安い価格で商品を売れば、一定の顧客が付いてくることは確実だ。しかし、安い価格で売って利益を上げるには数量を多く売らなければならない。そのためにはまず、多くの利用者を集める必要がある

コストコのような実店舗ならば、店を開けばその存在が周囲に知れるが、オンラインのマーケットプレイスではそうはいかない。「Jet」は会員獲得のためのマーケティングにリソースを膨大に割いている。

昨年11月には「Jet Insiders」というプログラムをローンチし、公式オープンに先駆けてベータ版のマーケットプレイスに無料でアクセスできる会員(「インサイダー」)を募った。

このプログラムは、ユーザー本人が「Jet」に登録してインサイダーとなれば終わりではない。登録後、ソーシャルメディアを通じてクチコミを広げ、より多くのネットユーザーをインサイダーに変えていくと、より大きな特典や賞品が得られるコンテストにもなっていた。

「Jet」のスタッフたちは会員のエンゲージメントを高めるために最も効果的な賞品は何かと検討を重ねた。そしてたどり着いた結論が「自社株」だった。

「上位10人にはJet社の株1万株、優勝者1名には株10万株が贈られる」という発表にインサイダーたちは発奮した。

「Jet」は登録者に随時メールを送信し、その時点におけるランキングや獲得人数を通知。競争意識を刺激し続けたため、コンテストが終盤に差しかかるにつれ、ランキング上位者の間でランク争いが激化していった。

熾烈な競争に打ち勝って見事栄冠を手中にしたのは28歳のこの男性、Eric Martin(以下マーチン)氏だ。コンテスト終了時点でインサイダーの数は35万に達したが、そのうちの8000人はマーチン氏が誘導してきた。

海外のEコマース界隈からはAmazonの対抗馬として注目される「Jet」④
栄冠を手中にしたのは28歳男性、Eric Martin(以下マーチン)氏

Jet社のスタッフは「ソーシャルメディア上に大勢のフォロワーやファンを持つ会員が優勝するだろう」と予想していたが、マーチン氏が用いた方法はスタッフの想像を完全に超えていた。

米国では、「Swagbucks」と「GiftHulk」というリワード広告サイトが主婦層の間でちょっとした人気になっている。どちらも、主に企業がグロースハックの目的で利用しているサイトで、広告主(企業)がユーザーにオンラインで実行してほしい活動(例:「メールマガジンの購読者になる」「商品のレビューを投稿する」)を指定し、それを実行してくれたユーザーにギフトカードや商品を進呈している。

マーティン氏は「価格」を最優先するという「Jet」に関心を持ちそうな層と上記2つのサイトの訪問者は重なると判断。1万8000ドル(約216万円)もの自腹を切って上記の2つのサイトに広告を打ち、「Jet」への登録を求めたのだ。

ブランドに惚れた顧客がそのブランドの積極的な宣伝に回ることはめずらしくないが、一般人がこれだけの宣伝活動をした例はまずないだろう。

マーティン氏は、ロア氏のインタビュー記事などを読んで、「Jet」の株1万株には200万円以上の投資をしてでも手に入れる価値があると信じて、思い切って一攫千金の勝負に出たのだという。

彼は現在、少なくとも紙の上では推定で最高2000万ドル(約24億円)の財産を持つ資産家に成り上がった。「Jet」の先行き次第では、この財産はただの紙切れとなる恐れもある。そうならないためにも、マーティン氏は今後も積極的に「Jet」の宣伝に努めることだろう。

社風の違いはサイトにも反映される

ロア氏は「異なる客層をターゲットにすることでAmazonと競い合うのではなく、共存を果たす」と語っている。しかし、その説明を彼の100%の本音と受け取ってよいかどうかは分からない。

(起業家が、自分の企業を)Amazonに買収され、Amazon傘下で働き、Amazonのやり方から学び、苛立ちを感じて出ていくという歴史は確実に存在している。その苛立ちは腹の中に納められてはいるが、表に出るときにはちょっとした敵対心となって現れる。

Scot Wingo氏(ChannelAdvisor社CEO)

Amazonの社風は「対決を辞さない姿勢」「秘密主義」「友好的合意の意図的な回避」で知られる。

また、Amazonは従業員に非競争契約(退職または解雇された後、一定期間、特定地域の特定の職業に従事しないことを誓う契約)に署名することも要求する。Amazonを退社してからロア氏が「Jet」を設立するまでに3年以上かかったのは、この契約に縛られていたからでもある。

ロア氏は従業員へのフィードバックは礼儀正しい態度で、その場ですぐに返してこそ効果があると考えている。「Jet」では年1回の従業員の勤務評価も実施しなければ、非競争契約の署名も要求しないことを明らかにしているのだ。

自分がしたことは最後は自分に返って来る。そんな契約などない方が従業員の忠誠心と信頼は上がる

Amazonとのこうした社風の違いは「Jet」のサイトにも反映されるに違いない。

現時点で「Jet」は黒字化の達成を2020年と予定している。ロア氏の試みが成功するか、失敗するかは数年先を見るまでは分からない。

僕は本来、ECサイトが価格で勝負することは好まないが、「Jet」にはその僕でもつい応援したいと思わせるストーリーと個性が備わっている。それが「Jet」の大きな強みとなって働くだろう。

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尼口 友厚

株式会社ネットコンシェルジェ

尼口 友厚(あまぐち・ともあつ)

株式会社ネットコンシェルジェ CEO プロダクト・マーケティング責任者

明治大学経営学部卒。米国留学からの帰国後、デザイナー/エンジニアとしての活動を経て、2002年に国内有数のウェブコンサルティング会社「キノトロープ」に入社。

2003年同社関連会社としてネットコンシェルジェを設立。eコマースとブランディングを専門領域とし、100億規模の巨大ECサイトからスタートアップまで150を超えるクライアントを抱える。現在は、ショッピングSNSサービス「Cart」を運営する。趣味はブラックミュージック鑑賞。

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