EC未経験での転職が出発点。Eコマース先生・川添氏が振り返る通販キャリア【私はこうしてECを学んだ】
「Eコマース先生」として個人の活動を行い、ビジョナリーホールディングス(メガネスーパーのグループを運営する親会社)取締役CDO兼CIOを務める川添隆氏(Twitter:@tkzoe)。自身がどのようにECについての知見を積んでいったのか、その軌跡を語る。Eコマースが徐々に拡大を遂げ、私たちの生活に浸透していく中で、川添氏自身も学生から新社会人、そしていくつかの転職を経て、徐々にEC業界にのめり込んでいくようになる──。
「Yahoo!オークション」でスニーカーを買ったのが原体験
今でこそ、上場企業のデジタル・IT管掌役員、Eコマース先生としてECの普及・イベント開催や他社のアドバイザーなどを手がけている川添氏ですが、もちろんECに対して“素人”の時期もありました。そもそも川添氏がオンラインを介しての取引に興味を持ち始めたのは、どういったいきさつだったのでしょうか。きっかけは大学生の頃にさかのぼります。
──川添さんがネットでモノを買い始めたのはいつ頃からですか。
川添隆氏(以下川添):大学生の頃にスニーカーブームにあわせて中学時代の物欲を発散しようとしてNIKEの「ジョーダンシリーズ」を集めたくなったんです。しかし定価で買うと数を集められないので、「Yahoo!オークション(現ヤフオク!)」で買い始めたんです。そういう意味では、大学生の頃に「Yahoo!オークション」でスニーカーを買っていたのがEコマースの原体験と言えます。
そこからスニーカーブームの後押しもあって、ジョーダンシリーズ以外のNIKEスニーカーを集めるようになり……。増えてくると家に置けなくなってきて、今度は「Yahoo!オークション」で売るようになっていきましたね。在庫処分みたいな感じで最初は売っていたんですが、徐々に安いスニーカーを買って、ちょっと履いて高く売るといったことをするようになりました。
──高く売るために何か工夫はしていたんですか。
川添:たとえばスニーカーをの汚れを落として傷の補修をして、なかに新聞紙を入れて立体的に映るようにする。そして、撮影の角度や状態がわかるように写真の枚数を多めにしたりして撮影していました。そういう風にコレクト兼在庫処分しているうちに、「Yahoo!オークション」に並んでいるスニーカーを見ていても、「これはもっと高く売れるぞ」というのがなんとなくわかるようになりました。その当時からすでに限定品の新品を購入して転売する転バイヤーもたくさんいましたけど、その目的とは違いました。私は転売目的ではなかったのものの、当時はまだ落札相場が確認しにくい状況で、積み重ねが経験となって素人の私でもが売っても高く売れましたね。
ただ、その時はネットでの取引を仕事にしようとは思ってなくて、単純に趣味の範囲でした。
マガシーク、スタイライフと聞いてもピンとこなかった
大学時代にネットオークションでスニーカーの売買を手がけた川添氏。とはいえ、当時はあくまで趣味の範囲で、仕事としては考えていなかったようです。大学を卒業してまず就いたのはアパレルの仕事。ただ、その頃もまだECへの興味はなく、店舗での販売・営業アシスタントとして働いていました。
──大学卒業後はどういった仕事に就かれたんですか。
川添:アパレルのモノづくりに携わりたくて、サンエー・インターナショナルに入社しました。当時もECの仕事にはまったく興味はなかったですね。2005年に入社し、その翌年に「セレクソニック(現MIX.Tokyo)」という自社ECが立ち上がるんです。
──自社ECが立ち上がった当時、川添さんはどんな業務をしていたんですか。
川添:私は1年の店舗販売を終えて、本部で営業アシスタントをやっていました。セレクソニックの立ち上げには全く関与していませんし、私が在籍した時に立ち上がったのかは定かではないです。ただし当時の取引先(卸先)にマガシークやスタイライフがあったのは鮮明に覚えています。ただし、その頃はその名前を聞いてもあまりピンとこなくて、単なる卸先の1つくらいの認識でしたね。ECサイトと知ったのは後からです。そのくらい、ECというものへの関心がなかったんです。
──その後、リユースファッションのECを行うクラウンジュエル(ZOZOUSEDを経てZOZOに吸収合併)に転職します。
川添:それは本当にたまたま入ったという感じでした。その当時、ベンチャー企業に転職したいと思って転職活動をしていて、当時のベンチャーだとインターネット系が多かったんです。最初はEC企業に行きたいとかっていう気持ちはなかったですね。あちこち受けて、たまたま入れたのがクラウンジュエルでした。当時はサイバーエージェントの傘下で、ファッションリユースをオークション形式で販売するECサイトをやっていました。
──そこで学生時代のスニーカー売買につながりますね。
川添:そうですね(笑)。狙ってもいなく本当に結果的にです。ただし、クラウンジュエルに入ってからは、買い取りしたものをいかに高く売るかを考えて、高く売れると面白いと感じましたね。たとえばメンズのレザーは総じて値が上がりやすいとか、レディースの方が値はつきにくいけどシャネルは高くなりやすいとか、そうした傾向を発見しながらやっていましたね。
──具体的にどんなことをしていたのですか。
川添:最初は状態確認と商品コメントを担当していて、1日50~80品目くらいをひたすら書いていました。基本的にリユースは1商品1在庫なので、とにかく数を稼ぐ必要がありました。自身がコメントを欠いた商品の売れ行きや価格がどうなったかを気にしていましたね。ブランドコラボも勝手に企画して販売を進めました(笑)
そのうちメルマガも担当するようになるんですが、最初は2人から引継ぎとして文面の体裁を真似て進めていました。2人とも書き方も違って(笑)ただし、本質的な書き方や押さえるべきポイントが本当にわからなかったんですよね。そこで、当時同じサイバーエージェントグループだったネットプライス(ネット通販の草分け的企業)の人に教えてもらいに行ったりもしましたね。
──そこで得たものって大きかったですか。
川添:今でこそ基本なんですが、「件名は大事ですよ(特にガラケーは)」とか本文の構成とか、そういう基本を教えてもらいました。ただし、実際は基本を学んで後は実践でいろんなチューニングをしていきました。クリック数やコンテンツや掲載商品ごとの売れ行きを計測して、どんな商品やどんなコーナーがいいのか、件名が違うとどのくらい影響があるのかをやりながら覚えていきましたね。
その後、買い取りの部署が手薄になったことを機に異動したり、子会社のブランドで卸営業や外部への企画提案やったり、広報や経理をやったりと……。会社の業務全体の流れがわかりました。改めて振り返ると、クラウンジュエル時代にEコマース事業の全般に取り組んで、興味や面白さが少しずつわかっていったんだと思います。
メルマガのリンク1つで40万円も売り上げている!
サンエー・インターナショナルを経て、クラウンジェルに入り、そこでささげ業務やメルマガ作成などを担当し、徐々にECの仕事に興味を覚えていった川添氏。その後の転職で入ったSHIBUYA109系のガールズアパレルを扱うクレッジで、本格的にEC担当者として活動をするようになります。その時の成功体験や多くの失敗を経験したことが現在の川添さんの礎(いしづえ)になっているようです。
──クラウンジュエルでECの仕事をした後、再び転職されますね。
川添:ベンチャーでは薄く何でもやる人でしたが、自身のキャリアとしてはどっぷり専門性を持ったほうがよいと考えました。環境としては、取り組みのレバレッジが効いて、1人の存在感もだせる事業規模の事業者側の企業。そして、どの業界でやりたいか? を考えたときに、ECを武器にすれば私として思入れのあるアパレル業界に対して貢献できるんじゃないかと考えました。それで、人材紹介会社経由で2010年にクレッジに入社し、店舗メインの企業におけるEC担当者というポジションになりました。
──ECの専門職として入社して、前職の経験が生きましたか。
川添:クラウンジュエルとクレッジでは事業環境として異なる部分が多くありました。ただし、それよりも改めてEC担当者になってみると、クラウンジュエルでは断片的なことしかやっていないことに気づき、最初は基本的なことも含めてわからないことが多かったですね。
たとえばクラウンジュエルは、ささげもシステムもすべて内製化していました。一方クレッジはSPA型でSHIBUYA109系ブランドを複数展開していたのですが、自社ECはすべてフルアウトソースかつ丸投げという状況。また、ファッションウォーカーやマガシークなどのモールEC展開は、同じ部門だけど卸のチームが担当していたんです。そうしたことは入社してから知って、やはり前職とは勝手が違いましたね。
面接時は「売上アップに向けてサイトのビジュアルはこうした方がいい」「モールECでの販売はこのサイトに注力した方がいい」と言っていましたが、いざ入った瞬間は「さあ、どこから手をつけようか?」となりました。周囲からは私が前職でECやっていたということから期待値が高めで、焦りもありましたね。
──その状況をどう打開したんですか。
川添:まずは自分ができることからやりました。たとえばメルマガは確実に改善できると思ったので、その時のメルマガの運用方法を聞いたんです。すると、店舗向けとEC向けの2種類のメルマガにわかれていました。今でこそあるあるとして理解できますが、当時はなんで2種類のメルマガがあるんだろうって思い、「誰が書いてるんですか?」と聞くと「店舗向けのメルマガは各ブランドの販促担当者で、基幹ブランドのLIP SERVICEくらいしか定期配信をしていない。EC向けは、アウトソース先の運営代行業者に丸投げしてます」とのことでした。それで、これはまずいと。
──言い方を換えると、活躍できる場が見つかった感じですね。
川添:そうなんですよ。EC・デジタル部門として“最適化”がされていない。そこでECのメルマガを「私がやりまーす」と言って半ば勝手に担当するようにしました(笑)。店舗向けも配信設定するだけでは左から右に仕事をしているだけだと思ったので、そちらも「私がリライトするから原稿を送ってください」と販促担当者にはたらきかけました。店舗向けのメルマガは、原稿と画像を送ってもらい、メインチャネルであるガラケーに合うように私がリライトして配信。その後、画像を加工して背景をトリミングしたり、メルマガ用の商品撮影をしたりするようになり、販促担当者からは感謝されるようになってある程度信頼関係が築けたと思っています。朝まで飲みに行くのも顔を出していたので(笑)。そうなってくると、ECとしてここぞと告知したい時は店舗向けのメルマガに告知を差し込むのを許可してもらったりもしましたね。
分析ツールの「Googleアナリティクス」も入社当時に初めて触れました。「Googleアナリティクス」というのがあって、サイトの分析ができること自体は知っていたものの、実際に触ったり活用法は知りませんでした。主要KPIは本を読んで学んだり、運営代行の会社からもらう数字などを見てある程度理解し、数字を理解するとさらに知りたくなることを探っていったりしていました。細かい使い方は、Google先生で調べて実践するの繰り返しでしたね。
──Web広告はどうしていたんですか。
川添:当時はリスティング広告をやっていて、運営代行会社に全部丸投げしていたんですよ。営業に来る方やセミナーなどで情報収集する中で、「Web広告は有効性がある」ということを知り、自社ECではどうなっているのか確認をしたところ、積極的に運用されておらず、定期的なレポーティングももらっていない状況でした。ようやくレポートを見ても、明らかに売上や利益に貢献していない感じはわかったので、、「こっちでやります」と引き取りました。そうは言ってもまったくやったことがなかったので、まずは広告代理店の5-6社連絡し、2-3社話しを聞いた段階で「まずはリスティング広告からやってみたほうが良い」「自社のROASは低すぎる」「キーワードやキャンペーンの運用がされていない」ということを理解できました。最終的に1社に決めて、部長経由で何とか月額20~30万円(月商は約2,000万前後)の経費申請をねじ込んでもらい、リスティング広告の運用担当もやることになりました。
まずはリスティング広告の仕組みを理解しながら、代理店と一緒にチューニングしていった結果、ROASが300-400%だったのが、1,000%前後まで効率を高め、経由売上自体も増やすことができました。その次に、よりモバイル広告(ガラケー)を精緻に効果測定する方法として、有料測定ツールがあることをを教えてもらい導入をしました。そこで「これでメルマガとかの測定していいですか?」って聞いたら、「測定リンク数の上限内であればOK」だと。そこからガラケーのメルマガやECサイト内のバナー経由売上の測定を始めました。するとメルマガ経由の売り上げがサイト全体の10数%のシェアを占めていることがわかって驚きました。さらに、「メルマガのテキストリンク1個で40万円も売れている!」とかがわかって、楽しくなって研究と実験をしたくなっちゃったんですよ(笑)
それでどんどんデータを取り、メルマガ・ECサイト・ブログなどどこに情報を載せ、どんな内容だと売り上げが伸びるか結果を蓄積していくうちにわかるようになったんです。なので、施策に対しても、事前に「売上を上げるためにここを改良できないか?」と打診もできるようになり……。限られた範囲ですが新しいツール入れて、また試す。その繰り返しで、さまざまなことを学んでいった気がします。ちなみに、この時の広告代理店はソウルドアウト社で、当時の担当者も含めて、今でも別の会社でお取引しております。
──クレッジ時代の楽しくなる感じというか、ある種の「成功体験」というのは大きかったですね。
川添:運用代行の人も社内の人も含めて、人が動かないとECというデジタル上の店舗って動かないだっていうのは、その時にわかったことですね。あとは、単に指示をしてもなかなか伝わらないというのも感じました。たとえば、クリエイティブの指示は文面だけでは齟齬が生まれるので、設置場所や模範にするデザインを指定するような指示書が必要だとか、代理店や運用代行の方々と打ち合わせする際も「こうしましょう」とフワッと決めずに、誰がいつまでにどの作業を担当するかを明確にするとか、そういった業務の基本はクレッジ時代に学んだことですね。
ただ、その頃はひたすら改善ポイントをつぶしたり、Webで新たにチャレンジできる範囲をちょっとずつ広げていっていましたが、ブランドを巻き込んだデジタル上の企画等はことごとく却下されました(笑)。当時は、今自分の中で持っている「チームづくり×販売手法(売り方)×在庫・MD×集客の掛け算だ」みたいなメソッドは、その時にはまだなかったですね。
──クレッジの後にメガネスーパーに転職しますね。
川添:クレッジがイグジットのタイミングでいろいろとあったのですが、「事業成長のためにあらゆる手を打てる環境」を志向して、星﨑社長が移られたメガネスーパーにいきました。極論すると、私のECの事業の組み立て・仕事に対する考え方・やり方は、クレッジ時代にほぼ構築されているんですよ。メガネスーパーに行った後は、そのノウハウを体系化したり、より応用したというか。なので、失敗をしまくったのはクレッジ時代です。
【後編】では、EC部門の責任者に就任し、川添氏はさらにギアを上げてEC業務に邁進していくクレッジ時代、そしてビジョナリーホールディングス(当時はメガネスーパー)への転職などの経験をお伝えします。