渡部 和章 2016/10/5 8:00

戦後の復興と高度経済成長を遂げた1950年代〜1960年代は、その後の本格的な通販時代に向けた始動期にあたる。

戦時中に通販を休止していた高島屋や大丸、そごうといった百貨店、主婦の友社など出版社が通販を再開したほか、経済発展に伴う消費拡大と消費者ニーズの多様化を受け、いくつもの通販企業やヒット商品が誕生した。

1946年(昭和21年) リーダースダイジェスト上陸

戦後日本の通販史において重要な役割を占めたのが、米国の月刊誌『リーダースダイジェスト』だ。米国企業のリーダースダイジェスト社は1946年に『日本語版 リーダースダイジェスト』を創刊、1949年頃に定期購読を開始した。

雑誌そのものを通販で売った上で、1952年(昭和27年)からは誌面に商品広告を掲載し、レコードなどを販売するビジネスモデルで顧客を獲得。さらに、レコードなどの購入者に対して新商品のダイレクトメールを送付し継続購入を促すなど、米国仕込みの先進的な手法で売り上げを伸ばした。

リーダースダイジェスト社のダイレクトマーケティングの手法は、国内の通販に大きな影響を与えることになる。

資料4-1 『リーダーズダイジェスト日本語版』創刊号(昭和21年6月号)

「創刊の言葉」には「本誌の名のいわれは、読者の(Reader's)ために多くの材料を消化(Digest)して、エッセンスを採る。すなわち、有益な読み物を精選し、平易に要約するという意味である」とある。

米国での創刊から25年経過しており、すでに40か国に行き渡っていた。「本誌日本語版の創刊は、世界の出版分野における国際連合に日本が加入したとも言えるのである」。

資料4-2 創刊号の広告

創刊号には住友銀行や日立製作所、早稲田大学、日本大学などの広告が掲載されている。日立製作所の広告には「製品の種目は戦前に復す! 今こそ全力を傾けて民生の安定に寄与し、平和建設に邁進せん!」とある。この時、まだ終戦から1年も経っていない。

翌年1月号の「各方面の読者から」の投書を読むと、情報を渇望していた当時の読者の歓迎ぶりがうかがえる。

「私は復員の後帰農した兄に従って、道北の寒村のそのまた僻地の山中を拓いている、今、ダイジェストを読むことにより、生きている楽しみを知った」(北海道・男性)

「新憲法も公布され、男女同権の叫ばれる今日、何よりも男性に劣らぬ頭、また実力を付けるに、この本こそ重要な糧だと思っています」(鳥取市・高女三年生)

「今の日本の出版界は戦前に比べて著しく堕落し、低級のものが氾濫している、リーダーズ・ダイジェストのみは絶好の読み物として推奨し得るものである。翻訳ものであるが少しもバター臭がない」(国務大臣 植原悦二郎)

1950年代 こけしの大ヒットで躍進した千趣会

1954年(昭和29年)には千趣会が販売した1個100円の「こけし」が大ヒットした。

「カワイイ」のない時代に

資料4-3 千趣会が販売し、大ヒットとなった「こけし」

創業メンバーの1人で後の千趣会会長・行待 裕弘氏は、銘菓の販売を経てこけしの販売を提案。1954年(昭和29年)9月に頒布会を発足させた。

終戦から9年、まだ暮らしに潤いがなかった時代。可愛らしく楽しげな千趣会のこけしは、女性から圧倒的な支持を得た。会員数は半年足らずで5千人に登り、3年後には10万人を突破した。

料理カードと『クック』

1957年(昭和32年)、千趣会がこけしの次にヒットさせたのは「料理カード」。『クック』という雑誌付きで発売した。

資料4-4 料理カード
資料4-5 料理カードが付属していた雑誌『クック』

料理カードは表に料理の写真、裏に作り方を印刷したもの。カードはビニール加工をして水や汚れに耐えられるようにした。

『クック』は10年で70万部を突破。1969年(昭和44年)には82万部を突破した。『クック』の成長を押し上げたのは1959年(昭和34年)に実施した日本テレビの番組とのタイアップだった。メディアミックスの成功例だ。

通販カタログの誕生

1976年(昭和51年)、千趣会はカタログ通販に乗り出す。ブラウス類を主力商品に、パジャマなどの軽衣料も充実させた。その他のラインナップはインテリア小物、食器、調理器具、家電など合計386点。初版発行部数は7万部だった。

参考文献『千趣会の30年』(編・刊:千趣会、1986年)

資料4-6 昭和51年2月に発行された千趣会のカタログ『ベルメゾン』創刊号

そして60年

2015年(平成27年)、千趣会は60周年を迎えた。60周年を記念して原点であるこけしを従業員が制作。その数1,000体以上。「女性を笑顔にしたい」という創業からの願いは現在に受け継がれている。

資料4-7 千趣会創立60周年を記念して配信された動画『千のスマイルこけしムービー』

この時期生まれた老舗通販とヒット商品

1950〜1960年代には、いくつものヒット商品が生まれた。

1946年(昭和21年) 中山式産業「中山式快癒器」

中山式産業の指圧器「中山式快癒器」と磁石付き腹巻「中山式腹巻」は、主に雑誌による通販で人気を博した。

創業者の中山 武欧(たけお)氏は、兵役検査に3度失格した体験から脊柱矯正器の開発に着手。昭和22年に中山式快癒器の第1号器を完成させた。

資料4-8 中山式快癒器
出典:『セシール30年の歩み』(編著:セシール社史編纂事務局 刊:セシール、2003年)P15

中山式快癒器は昭和年に医療用具の許可を受け、以降、通販チャネルなどでおよそ650万台を販売した。第1号の誕生から69年。現在も20以上のさまざまなモデルが販売されている。

資料4-9 女性向けの中山式快癒器「ふわふわハート☆マジコ

1951年(昭和26年) 武藤衣料(現スクロール)誕生

静岡県浜松市で縫製加工業者として誕生し、衣類の卸売りを手がけていた武藤衣料(現スクロール)も本格的な通販に乗り出した。

1954年(昭和29年)、ムトウが開発した「トッパー」が各地の婦人会の会合に出席するときの制服として採用され、全国に普及してヒット商品になった。

トッパーとは和装でも気軽に羽織れる上着のこと。

「トッパーをまとえば内に何を着ようが人の目に触れないので、着る物から解放され、それによって会合への出席率が高まっていった」

浜松市立中央図書館 浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

資料4-10 トッパーを着て民謡を踊る浜松の婦人会員。
出典:浜松市立中央図書館 浜松市文化遺産デジタルアーカイブ(ADEAC ®:デジタルアーカイブシステム

トッパーに加えてモンペや肌着を販売するなかで、カタログの原型ができていった。

その後「実用呉服」(洗濯などの手入れが楽な日常用の着物)や高級呉服、合成皮革「クラリーノ」を使用したランドセルなどのヒットを重ね、1967年(昭和42年)には本格的な総合カタログを刊行した。

資料4-11 ムトウの73年秋冬総合カタログ(昭和45年にムトウ衣料からムトウに社名変更)

1974年(昭和49年)からは本格的に生協と提携を開始して全国展開を果たし、専業通販として業界トップに躍り出た。

資料4-12 78年盛夏の『生協カタログ』。表紙に「1日1軒にてご回覧ください」とある。

2008年〜2009年の社名や組織の変更を経て、通販カタログで培われたノウハウはスクロールに、物流など通販システムのノウハウはスクロール360へ受け継がれた。自社事業だけでなく、数多くの通販企業の成長に寄与している。

資料4-13 スクロールのグループサイト

1955年(昭和30年) 東京人形学院(現ユーキャン)開講

1955年(昭和30年)には東京人形学院(現ユーキャン)が通信教育「日本人形講座」を開講し、通信教育の市場を切り開いた。

東京高等人形学院のテキスト『春雨』の表紙
資料4-14 1964年(昭和39年)発行の東京高等人形学院のテキスト『春雨』

「髪も結ってあり、着物も縫ってありますので、あとはあなたが組み立てるだけ……とは言っても、仕上がりの着せつけやポーズには、ぜひともあなたのフレッシュなアイデアを生かしていただかなくてはなりません」

テキストと共に人形の材料が一式入っており、作り方が丁寧に解説されている。

東京高等人形学院のテキスト『春雨』教材説明のページ
資料4-15 教材説明のページ

できあがった人形の写真を送ると講師からの批評を受けられる。添削システムの原型がこのときすでにできていた。

東京高等人形学院のテキスト『春雨』技術返信のページ
資料4-16 ほかにもガラスなしのケースの通信販売もされていた

テレビCMや新聞の折り込み広告だけでなく、「本屋大賞」や「流行語大賞」でも知名度を伸ばしたユーキャン。現在は134もの講座が登録され、学びたい人に学びの場を提供している。

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資料4-17 ユーキャンのホームページ

この時期に生まれたプレイヤーやロングセラー商品はまだまだある。

  • 1960年(昭和35年) 再春館製薬所 ロングセラー商品「痛散湯」発売
  • 1960年(昭和35年) ヒサヤ大黒堂通販開始
  • 1965年(昭和40年) ハイセンス(現フェリシモ)創業
  • 1968年(昭和43年) 珈琲通販のブルックス創業
  • 1969年(昭和44年) 福武書店(現、ベネッセホールディングス)「通信教育セミナ(現進研ゼミ高校講座)」開始

「月賦」という支払い方法

1953年(昭和28年)に設立された林商会は、1954年(昭和29年)に月賦積立方式によるカメラの通信販売を開始した。1957年(昭和32年)にはトランジスターラジオを、1959年(昭和34年)には時計を取扱商品に加えた。雑誌やスポーツ紙の広告、ラジオCMなどで売り上げを伸ばした。

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資料4-18 林商会『カメラの月賦』の表紙

「このカメラは3か月分で使えます」とあるのは、3か月分の支払いが終了したら商品を渡すという意味。支払い方法は郵便振替。

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資料4-19 『カメラの月賦』の商品ページ

最終回の掛け金が半額になる「お楽しみ月賦」もあった。「急いでご入り用出ない方におすすめいたします。毎月わずかずつで頭金もなく、一番楽でお得なお買い求め方法でございます」とある。

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資料4-20 『カメラの月賦』の表4
◇◇◇

1960年代は日本経済の成長が目覚ましく、1969年に国民総生産(GNP)が世界第2位の経済大国へと飛躍する中、旺盛な消費を取り込もうと通販に取り組む企業は急速に増えていった。


参考文献

『通販業界・セシールひとり勝ちの魔術』(著:鈴木麻由美 刊:エール出版、1993年)

『通信販売業界の軌跡』(編集・発行:日本通信販売協会、1990年)

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