「大都」DIYのEC企業:カンブリア宮殿に登場した山田社長の経営手腕
今日、7月16日(木)夜10時00分~10時54分からのテレビ東京「カンブリア宮殿」に、DIYのECを手がける大都の山田岳人社長が出演します。タイトルは「“巣ごもり消費”からDIY人気が急拡大中! 廃業危機の工具問屋を“DIYのアマゾン”に大改造した娘婿」。僕が山田社長と初めてお会いしたのはまだECビジネスが起動に乗っていない十数年前。大都のECサイト「DIY FACTORY」がなぜ“DIYのアマゾン”“DIYのキーマン”と呼ばれるようになったのか――。
このような状況になったのは、山田社長が一貫して取り組んできた「価値創造」が根底にあります。十数年、大都の山田社長を取材させてもらった立場から、これまでの取り組みを改めて紹介。そして、ぜひECに携わる方は、今日の「カンブリア宮殿」を見て、自社のECビジネスを飛躍させるためのヒントを見つけてほしいです。
順風満帆ではなかった事業の変革
僕が山田社長と初めてお会いしたのは2008年頃。DIY用品のネット通販、工具の卸問屋のほか、地域のコミュティ冊子の編集・発行も手がけていたときだったと記憶しています。
そんな大都が十数年で様変わり。創業1937年、利器工匠具の販売からスタートした大都は、DIY用品のネット通販で急成長。東証マザーズ市場に上場しているアライドアーキテクツ、カインズなどから資本を受け入れ、カインズ店舗との協業、植物に関するSNSやECサイトの運営など事業を広げています。
工具全般の卸販売からネット通販への事業シフト。外部資本の受け入れ、そして、事業の拡大――。ただ、決して順風満帆ではありませんでした。
「娘との結婚は会社を継ぐことが条件だ」――。学生時代から交際していた現在の妻との結婚の条件は、大都の後継者となることだったと言います。結婚して1年後、当時勤めていたリクルートを退職。山田社長が大都に入社したのは28歳のときでした。
「業界の古さにびっくりした。いま振り返ると、古い業界だからこそイノベーションを起こしやすかったのではないか」。数年前の取材で山田社長はこう振り返ります。
業界の御法度破り、批判覚悟の直販参入
ネット通販を始めたのは2002年。「楽天市場」への出店でした。当時の肩書きは専務。営業を担当し、工具業界への理解を深めていた頃でしたが、問屋としての限界を感じていました。「小売店はとにかく安く買いたい」「小売店はウチからでなくても他社から買える」「仕入れ基準は結局、価格」――。こう感じていたのです。
キャッシュに限りがある中小企業は今後、このビジネスのままでは立ちゆかなくなる。(山田社長)
こうした考えが、業界では御法度とされた問屋による直販への進出を決断させたのです。
「問屋なのに直販しやがって」。取引先からこんなクレームが入り、叩かれることもありました。ECの可能性を考えると伸びないはずがない。問屋業を続けていたら会社はダメになる。(山田社長)
長年の付き合いだったクライアントとの取引が中止に追い込まれるケースもあったと言います。ですが、ネット通販の可能性を感じた山田社長の信念は揺らぐことはありませんでした。
卸売りからの事実上の撤退
BtoCのネット通販は堅調に伸びていましたが、本業の工具卸(BtoB)が足を引っ張り、ネット通販が卸事業の赤字を補填する状況に陥りました。2006~2007年のことです。
義父である先代社長に対して「もう1年だけBtoBを頑張ってダメ(赤字)だったら廃業する」と申し出た山田社長。その頃、代表権は先代が持っていたものの、山田社長が実質的な経営者として会社の舵取りを行っていた状況でした。
「いつかよくなる」。先代やプロパー社員はこう口々に言っていました。背水の陣の2006年も。ですが、社員は変わりませんでした。売れないのは市場が原因だと責任転換し、定時帰りは当たり前の状況でした。(山田社長)
迎えた正念場の2006年度決算。赤字決算となりました。財務状況が悪化し、BtoB事業の急速な落ち込み(連続赤字)によって事業が立ち行かなくなったのは2007年のこと。ここで大きな決断を下しました。
会社が倒産したらリスタートもできなくなる――。社員には規定通りに退職金を支払い全員解雇に。当時卸事業の売上高は約5億円でしたが、その売り上げを捨て、ホームセンターとの取引を徐々にストップ。ネット通販に全力を注ぐ決意を固めました。
ネット通販1本に……。創業70年目に迎えた第2創業となりました。
ロングテール戦略の採用、“DIYのアマゾン”と言われるゆえん
順調に売り上げを伸ばしたEC事業ですが、2009年2月に初めて月次ベースの売り上げが前年同月比割れに陥りました。原因は競合の増加です。「流れが変わってきた。このままではしぼんでいく」と危機感を抱いた山田社長は、販売モデルを劇的に変えることを決めました。
“DIYのアマゾン”と言われるゆえんとなる、ロングテール戦略の採用です。当時、Amazonのほか、アウトドア・キャンプ用品の「ナチュラム」、日用品などの「ケンコーコム」、バイク用品の「リバークレイン」といった一部のEC企業がロングテール戦略を採用。
大量の商品を取り扱い、販売数が少ない多品種少量の商品で売り上げと利益を伸ばすロングテール戦略を取り入れたのは2009年。DIYジャンルでは大都が初めてのケースだったのではないでしょうか。
ECサイトで扱っていた商品点数は約1.8万点。問屋事業で扱っていた商品データベース(DB)は10万点あったため、商品登録作業などの業務は中国の成都インハナ(スクロールグループ)にアウトソーシングし、ロングテール戦略を実現しました。取扱商品点数が10万点を超えたのは2009年12月25日。その翌日、受注が一気に増えて物流がパンク。物流業務の外部委託にも踏み切りました。
社員は販売に関する企画などの業務に集中、作業的な部分は外部にアウトソーシングするコア業務とノンコア業務の分散で、業務効率を一気にアップさせる運営体制を整えたのはこの頃のことです。
潜在ニーズを顕在化する実店舗展開
もちろん競合企業は黙っていません。AmazonはDIYジャンルの直販に参入、競合店はこぞってロングテールを採用し、大都を追随する体制を整えます。
2011年に社長を引き継いでいた山田社長は矢継ぎ早に対策を打ち出します。その1つが、今は閉店しましたが、実店舗展開です。今はネット通販企業による、ポップアップ店舗、実店舗展開は当たり前になりましたが、「家賃などの固定費がかからない」という理由でコストメリットが強調されていたネット通販ビジネス。
ネット通販企業が実店舗を出す――。そんな時代の2014年に大都は、大阪市内に日本初というDIY製品専門の実店舗をオープンしました。体験教室といった役務サービスの提供、ECと実店舗の連動といった新たな取り組みを行う店舗形態でした。
消費者にECでは実際に触ることができないナショナルブランドのDIY用品に接触できる機会を作り、DIYに興味を持ってもらいたい。(山田社長)
これが店舗のコンセプト。DIY専門実店舗という取り組みはさまざまなメディアで取り上げられ、潜在ニーズを顕在化するという大きな役割を果たしました。
DIYブームを迎えその役目を終えた実店舗。現在は、地域のイベントや商業施設、自治体や企業様でのレクリエーションなど、全国各地に大都が足を運んでワークショップやDIYレッスンを行う「DIY FACTORY GO」としてリアルの場でDIY文化を消費者に届けています。
すべては「価値の創造」
2002年にネット通販をスタートし、当時はホームセンターの競合のような状態でした。でも途中で気が付いたのです。誰かから奪う売り上げはいずれ誰かに奪われる。そこに社会的な価値があるのか。新しい市場を創造することにこそ価値があります。(山田社長)
大都がカインズからの出資を受け入れた際、山田社長がこのようにコメントしていたことが記憶に残っています。
山田社長がネット通販をスタートし、卸事業から撤退、ロングテール戦略の採用、実店舗展開、出資受け入れなどは、すべて「価値の創造」を考えてのこと。
DIY商材を購入する人が買いやすいように、DIYに興味がない人にもっと関心を持ってもらえるように。それにはどうすればいいのか? 3代目となった山田社長は自問自答しながら、さまざまな決断を下し、結果として「DIY業界のイノベーター」と呼ばれるようになりました。
山田社長がバトンを受け取った2011年の翌年、先代が急死しました。卸事業から完全撤退し、ちょうどEC事業が大きく軌道に乗った時期でした。社長交代前から実質、会社の舵取りをしていた山田社長でしたが、事業転換後の会社の様子を先代が見たとき、「キャッシュフローが大きく改善していてとても驚いていた」(山田社長)ことが印象に残っているそうです。
問屋業の取引は約束手形が中心。ある意味、小売業は日銭商売(決済代行会社によって入金サイクルが変わりますが)。主力事業にネット通販が変わり財務も改善しました。
ネットを活用したBtoCへの事業転換を期に事業拡大した大都。会社存亡の危機に陥り、社員の解雇という苦渋の決断を下したこともありました。こうしたことを含め、山田社長はこう会社の方向性を話してくれました。
長きにわたって残る会社を作るのが最優先。自社のことだけでなく、世の中に、未来にどんなことを残せるのか。企業家にできることは、社会に役立つビジネスを残していくこと。大都はそうしたものを残していきたい。(山田社長)