僕が年商20億円のEC企業の社長から、老舗カタログ通販のEC責任者に転職した理由
ナビプラスの立ち上げ、マガシークのマーケティング責任者、年商20億円規模のEC運営企業社長を歴任、そして、ディノス・セシールのCECO(Chief e-Commerce Officer)に就任――。ベンチャー企業のEC業務に一貫して携わってきた石川森生氏は2016年2月、カタログ通販やテレビ通販などの老舗通販企業ディノス・セシールに転職した。なぜベンチャーから大手へ? なぜ経営者から現場に戻ったのか? 大手企業のEC人材の求人事情、転職理由、成長するためのビジネスモデルなど多岐に渡る石川氏へのインタビュー。
「本気のEC」に取り組むディノス・セシールが社外から人材を求める理由
ディノス・セシールの2015年3月期売上高は1173億円。カタログ通販やテレビ通販などが主体で、ネット受注ベースのEC売上高は570億円。
いわゆる“マス”を活用したダイレクトマーケティングに強みを持つディノス・セシールが、ECの強化に乗り出すために招聘(しょうへい)したのが石川森生氏だった。そして、石川氏のために用意したのがCECO(Chief e-Commerce Officer)というECを推進するための役職。EC事業推進の責任者であり、社内外にディノス・セシールがECに力を入れていくことの意思表明でもある。
石川森生氏の前職は、製菓材料などの通販を手がけるタイセイのEC(cotta/コッタ)を運営する子会社TUKURU(ツクル)の代表取締役社長。タイセイがEC事業を強化しようと2014年に新設したTUKURUの社長に石川氏を招聘(しょうへい)した。そして、石川氏はその期待に応え、コッタをわずか2年で約20億円までの規模拡大と事業の黒字化に導いた。
カタログ通販やテレビ通販業界では、「ECを強化したい」という方針を掲げている企業は多いものの、「組織の壁」「人材の壁」などが障壁となり、EC化が思うように進んでいない企業が多数を占めるのが現状。
ディノス・セシールは“ECのプロフェッショナル”を招き、“壁”を取っ払ってテレビやカタログ、マーチャンダイジングといった部署横断でECを活用する体制作りをめざす狙いがある。
ベンチャー企業で経験を積んだ外部の人材を、事業の中枢に据え置くのも、カタログ通販、テレビ通販の業界ではあまり前例のない人選。異例とも言える人事だが、ディノス・セシールのEC化への本気度を示す事例は他にもある。
石川氏がこれまでECに携わってきた中で気心の知れたメンバーもディノス・セシールに参画したのだ。
- 元マガシークのUI/UX責任者
- キノトロープでバリバリ活躍していたスタッフ
- EC-CUBE系制作会社の元副社長
- ファッション誌「VOGUE JAPAN WEB」の立ち上げメンバー
など、多種多様な顔ぶれで構成された“チーム石川”がディノス・セシールに参画。1人だけではなくチームごとECの専門家を受け入れ、EC化を強烈に推進していく方針を掲げる。
ECのベンチャーから老舗通販会社に転職した理由
一見、華やかな職歴を歩んできたように見える石川氏だが、近年のEC市場の状況を見て「危機感を持っていた」という。それはなぜか?
今のECのスキルは、あと何年先まで使えるのか? まだECサイト単独で価値を提供できる状態ではあるが、お客さまから見ると、ECサイトは1つの購入ツールでしかない。将来、ECだけの事業で飯を食べていけるのか? そんなことを考えるようになった。行き着いたところが、いろいろなチャネルを持っている企業は強いということ。ディノス・セシールはテレビ、ウェブ、カタログ……さまざまな販売チャネルを持っているので、これまでのECの経験を発揮しながら新しい価値を提供できるのではないか。そう考えた。
石川氏が将来のECビジネスに疑問を抱いていた時、転職オファーを出していた企業の1つがディノス・セシールだった。EC企画部ゼネラルマネジャー井筒秀樹氏は、猛烈に石川氏へアプローチした1人。「うちに来てくれ!」。石川氏が社長を務めていたTUKURUに何度も足を運んだという。
井筒氏は次のように数か月前を振り返る。
カタログ通販などの受注チャネルとしてのECしかやっていなかった。一般的なEC企業がやっている事業スピード、損益計算などの考え方は僕らとはまったく違う。そのECに関するノウハウを外部の人に求めた。新しい取り組みをするためにも必要な人だった。
外部のEC専門家によってECビジネスの在り方を変えようとする企業ニーズと、ECスキルをEC専業以外の企業に活用しようとする石川氏らのニーズが合致。今回の“チーム石川”の参画が決まった。
石川氏は長年EC業界に携わり、経営者、EC担当者を歴任した経験を踏まえこう指摘する。
EC業界に携わる人は危機感を持った方がいいかもしれない。自身のスキルの賞味期限が切れる前に、何かしら味付けをしないといけない。市場が伸びているECのマーケターであっても、将来は先が見えなくなる可能性がある。さまざまな販売チャネルを持っている企業に自身を売り込み、プレゼンスを上げることも考えてもいい時期。大手小売やメーカーなどECを本気で取り込もうとしている企業は、EC専業で携わった人のスキルを求めている。
EC専業から見たカタログ・テレビ通販会社の課題
2月に入社した石川氏。長年ECに携わってきたその目に、ディノス・セシールのビジネスモデルはどのように映ったのか。
カタログは最適化され尽くされているため、これ以上効率化するとハウスリストの早期減少を招く。無理矢理にカタログの比率を下げてEC化を進めていこうとすると、これまでのお客さまに価値を提供できなくなる恐れがある。受注の効率化以上に、全体のハウスリストを増やすことが重要。それには、カタログではリーチすることができない若い層へアプローチし、ハウスリストの母数を増やしていくことが必要になる。あわせて、Webならではのリテンションの仕組みを構築することが急務だ。カタログではコストがかかってできなかったことを、Webでアプローチしていきたい。
石川氏が短期間でディノス・セシールが抱えていた課題を指摘したことに、プロパー社員は驚きを隠せない。
また、ECサイトは“受注ツール”という認識が浸透してしまったためか、カタログやテレビといった組織の壁がECの推進を遅らせてきた側面は否めない。石川氏に与えられた大きな役割はその壁を取っ払い、社員全員にECへ目を向けてもらうこと。その中心的人物として新設した「CECO」に任命した経緯もある。
石川氏はこう言う。
ディノス・セシールでは商品のカテゴリーや販売チャネルによって評価対象の部署が異なる。でもそれはお客さまには関係のない話。いい商品・サービスであれば、お客さまはどのチャネルに関わらず購入してくれる。だから、僕らの役割は、ECサイトでの販売に適した商品を、MD担当部署から預かって販促していくイメージ。リアル店舗とのオムニチャネルで起きるような部署間の“カニバリ”は起きないと思う。
課題解決のためのアプローチ
事業を進める上で重要なのは、ディノス・セシールをどのように意識してもらうか、ということよりも、結果的に“ディノス・セシールで買ってよかった”と感じてもらう必要がある。
購入後の消費者意識をどう変えるか。そのアプローチとしてあげたのが、Webとカタログの特性の違い。これを踏まえた上で、戦略を立てる必要があるという。
カタログ・テレビ通販の特性
- 紙(カタログ)やテレビのコンテンツは、Webをはるかに凌駕するコンテンツ力がある
- カタログとテレビはリテンションコストが極めて高い
Webの特性
- Webのコンテンツはストックして継続的な集客エンジンにできる
- Webはリテンションコストを下げるテクノロジーが発達している
強調するのは、ECがカタログやテレビ通販の売り上げを奪うなどの対立構造にはならないということ。それぞれの特性を生かしつつ、ECを活用するべきだと指摘する。
たとえば、カタログ通販は四半期に1度、顧客に送るアプローチのため、「リテンションには向いていない」(石川氏)。だが、カタログで使ったコンテンツをECサイトに活用したらどうだろうか。
カタログ通販は1回の発行で売り上げを最大化させる、といったPL(損益計算書)的な発想だが、ECサイトは異なる。Webは一度使ったコンテンツをある一定の期間使い回して売り上げを最大化することができるため、「BS(バランスシート)的な発想で見た方がいい」(同)。
こうしたそれぞれの特性がまだ、ビジネスに反映されていないと見る石川氏。たとえば、
カタログやテレビのコンテンツは、コンバージョンにつなげるためのパワーがすごい。テレビの臨場感はECサイトでは表現できない。だからこそ、ECだけの企業よりも大きな潜在パワーがある。コンテンツを作るといったところはどのEC専業もまねできない。BS的な観点で、ウェブにカタログのような資産をたくさん作っていくだけで、大きく変わると思う。
石川氏はベンチャーのEC企業に共通する課題として、「利益を計上するためにギリギリの経営を強いられ、中長期的なビジネスプランを作ることができないケースが多い」ことをあげる。
その一方、資本の大きい企業は「簡単には崩れない事業と財務の基盤がある。日銭を稼がざるを得ないベンチャーとは異なり、長期的なスパンで事業計画を立てることができる」(同)
カタログ・テレビ通販がめざすEC化のカギは、「長期的な視点でカタログなどのコンテンツを活用し、ECで販売するための資産を増やす」ことにあるようだ。